薄暗い廊下を私は一人歩いていた。人気がまったくなく、ただじめじめとした不穏な空気が私を取り囲んでいる。私は何か不吉な予感を感じ、唾を飲み込んだ。……なんてことはなく、私は幽霊にとっては居心地のいい雰囲気の中を、うきうきとした気分で軽くステップを踏みながら新聞部室に向かっていた。これから殺人クラブの活動に参加するのだ。久々の血生臭い話に興奮していたとしても仕方の無いことだ。そうして、ようやく私は新聞部室の前に着き、意気揚々とその扉を開け放ったのだった。


「こんにち……は?」


そして、私は固まることとなった。なぜなら、そこには予想だにしていなかった人物がいたからだ。その人物とは倉田さんと元木さん、そして我が愛しの坂上君であった。彼らはそこにいるのが当然のように椅子に腰掛けていた。光景としては馴染んでいたが、彼らもメンバーだったとは知らず少しだけ動揺した。なぜなら、報告書に足りない部分があろうものなら減給されるからだ。もしかして、上はこのことを知っていながら、私には伝えないでおいたのだろうか。だとしたら、一生懸命霊界のために尽くしてきたのに恩を仇で返されたことになる。確かに私は社の備品を壊したり、金を私事に使ったこともあるが、色々と貢献をしてもいるだろう。例えば…………いや、思い出せないだけで、私は社のために身を粉にして働いてきたのだ。それを裏切るとは何ということだろうか。


「……こんなの聞いてない」

「別に俺達三人だけとは言ったつもりはないが?」


私の呟きの意味を履き違えた日野が、口元を歪めてせせら笑った。つまり、日野は私が新聞部室で待ち構えているのは人と新堂先輩と岩下先輩だけだと思っていたと考えているのだろう。私は彼が勘違いしているということを教えてあげるためにも、盛大なため息をつき肩を竦めて見せた。


「そういう意味じゃありません。私は一年生は福沢さんだけだと聞いてたので驚いただけです。それで、坂上君たちはいつから殺人クラブに?」


今度は殺人クラブのメンバーが思い思いの動揺を表す番だった。ただし、風間望と坂上君は無反応だった。風間望は相変わらずのむかつく笑みを張り付かせ、坂上君は無表情で微動だにせず座っているのみだった。風間望はいつも通りとして、坂上君の無表情に私は些か驚いた。まるで人格が変わってしまったかのように、冷ややかな視線を私に向けている。これは意外だが、このギャップが逆に恐怖感を与えるのに最適かもしれない。
坂上君が我が社に有効な人材であるかもしれないことにほくそ笑む。それから、先ほどとは一変警戒心を示している殺人クラブの面々に微笑みかけた。質問には後で答えさせればいい。


「まぁ、それは追々聞くとして。ひとまず部活動開始といこうじゃありませんか。獲物の兎は私で、貴方達が猟師です。……精々、兎に猟銃を奪われないようにしてくださいね」


そうして、私は新聞部室を後にした。










負ける気なんて更々ないので、私はゆったりとした足取りで学園内を歩き回っていた。
一箇所で迎え撃つような真似は暇なのでしたくないし、むしろ私は自ら動き回って敵を倒すようなタイプでもある。ただし戦略性なんてものは全くないので、罠にはあっさりとかかってしまう。しかし、人間が相手ならば罠といっても高が知れているだろう。鼻歌交じりに歩きながら、誰かと出会うのを待った。


「あ! 新堂先輩見っけ!」


相変わらず吉田に付き纏われている新堂先輩が前方にいたので、私はすぐさま駆け寄った。新堂先輩はすぐさまこちらに体を向け、けれどもその手に持っているバットを構えることはなかった。
構えていない相手に戦いを挑むことなんて出来ず、私は拍子抜けして彼の数歩手前で止まった。


「部活動、しないんですか?」

「そんなに殺されたいのか?」

「まさか。貴方じゃ私は絶対に殺せませんよ。それに私としてもそれなりに戦って技術力とか色々と見てみたいんですよねー」

「……生憎、俺はお前とやりあう気はねぇよ」


どうやらその言葉は私を油断させるための嘘ではないようで、新堂先輩はバットを持った手をそのまま横に垂らしている。彼にその気がないのなら、私も何も出来ず肩を竦めて見せた。


「それは残念。でも、調査しなきゃいけないんで闘ってくれませんか?」

「さっきから気になっていたんだが、お前どうして俺達のことを知っていたんだ? それに調査って?」

「詳しいことは後で話しますよ」

「どっちにしても、俺はお前を倒す気はない」

「うーん、それは困った。……では、こうしませんか? 貴方が私と闘ってくれたら、新堂先輩をストーキングしている吉田を私が追い払いますよ」


怨みの負の感情のせいで、そこそこに力はついているといっても、所詮は低級霊。私に敵うようなものではないから、彼を霊界に連れて行くことも可能だ。
新堂先輩は眉間に皺を寄せ疑わしげにこちらを見ている。そんなことを出来る人間なんていないとでも思っているのだろうか。まぁ、生憎私は人間ではないが。


「どうします?」

「……しょうがねぇな」


そう言って、新堂先輩がバットを構える。流石に無防備な状態で殴られれば痛いので、私は念のため身構える。そもそも攻撃を受けるつもりはないが、備えておいて悪いことはないだろう。
一瞬の静寂の後、最初に動いたのは新堂先輩だった。大きくバットを振り上げて、私に突進してくる。それを横によけると、すかさず縦方向に振り下ろしたバットを水平に私のほうを狙って振る。一歩後ろに退いてそれを避けると、すかさず彼は足を一歩踏み出し今度は斜め方向にバットを振り下ろした。避けることは可能だったけれども、新堂先輩の咄嗟の判断の上手さも知りたい。だから、私はそのバットを片手で受け止めると彼との間合いを一気に詰める。鳩尾に一発拳でも叩き込もうと思ったが、新堂先輩はその前に私の視界から一瞬にして消えた。視線をすぐさま右下に下ろすと同時に膝裏に何かが当たる感触がした。それは新堂先輩の左足で、体を横に倒した彼の両足の間に私の足がある状態になった。新堂先輩はにやりと勝利を確信したような笑みを浮かべ、それからその体を左方向に捻る。流石に瞬時に足を抜くことなんて出来ず、私はそのまま前方へと倒れこむ。咄嗟に両手をつき、前転の要領で勢いをつけて両足を抜くと共に、新堂先輩と距離を取る。そして、私達は再び対峙した。すると、どちらからともなく笑い出す。


「ちなみに、先ほどの技は何処で?」

「前に何かで読んだ、ような。……それにしても、まさか素手で止められるとは思わなかった」

「鍛え方が違うんですよ」


先ほどまで張り詰めていた空気が緩んでいくのが分かった。新堂先輩に元々敵意はなかったのだし、さっきの勝負は私が申し込んだものだ。その私が緊張を解けば、彼もそれに倣うのは道理だろう。
それにしても、バランスを崩されるとは思わなかった。新堂先輩はそれなりに戦闘能力があるようで、あれだけ調べられたのだから足りない分は適当にでっち上げるなり何なりすればいいだろう。それに、私も戦意喪失した。


「あ、私約束はきちんと守りますから」


そう言って、新堂先輩のほうにゆっくりと近づく。彼は少し首を傾げる程度だったが、その後ろにいる吉田は怯えて今にも立ち去りたがっているように見えた。彼に向けてだけあまり宜しくない気を放っているのだから、それも当然だろう。
私は吉田の心臓に腕を突き刺した。新堂先輩には、私が虚空に腕を突き出しているように見えるだろうが、私と吉田の目にはしっかりと赤に染まっていく私の腕が見えている。最期だからと私は葬送の笑みを浮かべその腕を引き抜いたとき、吉田は粒子となった消え去った。多分、霊界辺りにでも運ばれたのだろう。


「それでは、この辺りで失礼させていただきますね。まだまだ殺人クラブのメンバーはいるんですから」


新堂先輩には親愛の情を浮かべた笑みを向けると、怪訝な顔つきでいる彼を残して私はそこから立ち去った。










そういえば、細田先輩はトイレに入り浸っていると聞いている。もしかしたらそこにいるかもしれないと考えて、私は学校中のトイレを探し回ることにした。さして男子トイレを調べることに抵抗はなかったが、細田先輩が女子トイレにいる様を想像して背中が寒くなった。もしもそんなところにいたら、容赦なくこの世の果てまで吹っ飛ばしてさしあげよう。そうしたら、その女子トイレを使う女生徒から――というよりも、全世界の女性から感謝されるだろう。
取り留めのないことを考えていると、不意に背後に気配を感じた。この粘着質なタイプはきっと細田先輩だろう。さっさと襲えばいいものを、機会を探っているのか中々こちらに来そうになかったので、私は一芝居打つことにした。


「細田先輩いますかー?」


後ろの細田先輩に聞こえる程度の声量で言葉をかけながら、私はトイレの扉を開く。首だけをそちらに突き出した形なので、必然的に後方への視界を遮られる。しかも、両手を扉と壁に着くという格好になっているので、咄嗟の反応も出来ないだろう。もちろん私は意図的にそれをやっているので、細田先輩が足音をどかどかと鳴らしながらこちらへやって来るのが分かって、口端を持ち上げる。


「篠原さん! 僕はここだよー!」


もはや不快音としか思えない笑い声を上げながら、細田先輩が突進してくる。無機質な機械音も近づいてくることから、彼はお得意のチェーンソー辺りでも持っているのだろうか。とりあえずは、彼と触れることすら嫌だったので、タイミングを見計らって両手に力を込め、そして勢いよく体を後方へと飛ばした。細田先輩が私の動きを予想できたはずもなく、彼は私のいた場所に突っ込んだ。しかも、運のいいことにチェーンソーが壁に深々と突き刺さり、見た感じでは簡単には抜けそうもない。更に、チェーンソーは衝突の衝撃でどこかを故障したのか、弱々しい音を立ててその動きを止めた。


「探す手間が省けて良かったです。わざわざ自分から出てきてくださりありがとうございます。細田先輩」


床に無様に横たわる細田先輩の背中を踏みつける。ぶにぶにとしたなんともいえない気色悪い感触が伝わってきたが、そもそも顔を見て話をしたくない。だから、これでいいのだ。後で靴を替えなければいけないが、そんなものは経費で落とせば私に不利益はない。


「本来、私はきちんと貴方に対しても調査を行わなければならないのですが、生憎貴方は気絶してしまったので、調査の続行は不可能になってしまいました。残念なことです」

「え!? 僕はま」


続きを言わさせずに私はとある能力で細田先輩を昏倒させる。私は足を退かすと、寝転がっている細田先輩をトイレの個室に押し込んでから、他のメンバーを探すことにした。
そもそもあんな巨体では怖がらせるなんて不可能だろう。むしろ、気持ち悪さを先に感じる。










僅かな殺気を感じて、私はある教室の中で立ち止まった。上手に隠しているいることから、相当な使い手であることが伺える。あのメンバーの中でそんなことが出来そうなのは、岩下先輩か日野か坂上君ぐらいなものだ。その三人の内の誰であっても、どうせいずれは調査しなければいけないのだから、悩んでいても仕方が無い。私は誰かが潜んでいるであろう廊下に声を投げかけた。


「誰ですか? こそこそ隠れてないで、出てきたらどうです?」

「……どうして分かった?」


片眉を持ち上げ、不審げな顔をしつつも日野が月の光の元へと出てくる。日本刀を持つその姿は中々様になっていた。


「勘はいい方なんです」

「確かに野生的ではあるな」


日野は余裕ぶった笑みを浮かべながら私に皮肉を返してきたが、私はそれを無視し教室隅にある掃除用具入れから手ごろな箒を取り出した。流石に素手で日本刀を相手にするのは分が悪い。


「おいおい、そんなんじゃあっさり死んじまうぜ?」

「手加減はしますのでご安心を」


先ほどのお返しとばかりに満面の笑みを浮かべて日野にそう返す。日野は一瞬だけ顔を歪めたものの、すぐに余裕の表情を取り戻した。そして、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。相手の出方を伺うために、私は箒を構え日野をしっかりと見据えた。
先に動くのは当然日野。彼は一気に距離を詰めると刀を右下から斜めに振り上げる。私はそれを左に移動して避ける。すかさず日野がこちらへと刀を振り下ろそうとしたので、それよりも早く私は飛び上がった。人間ではありえない跳躍力を発揮した私を見て、日野は驚きで動きを止めた。私はその隙を見逃さず手に持った箒の柄を日野の顔に叩きつけようとした。しかし、流石というべきか日野は柄が顔に当たる前に、それを刀で切り落とす。一応は怪我を防ぐことを出来たものの、それでも日野の劣勢は変わらない。何故なら、私の着陸先が日野の真後ろであったからだ。それを日野も了解しているらしく、日野はすぐさまこちらを向こうとするがその前に私の華麗な手刀がその首にヒットした。


「く、そ……」

「残念でしたね。それでは、おやすみなさい」


今だ意識を保てていることに驚きを感じつつも、私はもう一回手刀を決める。今度こそ日野はゆっくりと倒れこんだ。私は体と床が衝突する音を背中で聞きつつ、教室を出た。