「暇だ!」


思わず叫んでしまうほどに、私は暇を持て余していた。まだ土曜日はよかった。何だかんだで結構な生徒が学園に来ていたからだ。もしかしたら、この二日間を退屈せずに過ごせるかとも思ったのだが、その予想はどうやら外れたようだった。なぜなら私は今日一日生徒一人とすら出会っていないからだ。もう一日を半分以上過ぎたってのに、こんなありさまではこの後も期待出来ないだろう。憂鬱だ。退屈のあまり、このまま消えてしまいそうだ。それほどまでに私は精神的に大打撃を受けていた。頼みの旧校舎は初日と同じく誰とも出会えなかった。いた痕跡はあるのに姿は見せないのだ。何たることだろうか。こうなったら、報告書で酷いことを書き殴ってやる。八つ当たりだと分かっていても、どんなにくだらないことでも考えていなければ、本当に消えてしまいそうだった。短い時間ならいいのだが、長時間一人きりになると自分という存在が曖昧になる。だから、歌を歌ってみたり壁を殴ってみたりして、自分の存在を確かめなければどうにも不安で仕方がなくなる。
多分誰も出てこないだろうと想像できるのだが、それでも私は再び旧校舎へと足を向けた。そして、すぐに己の幸運を喜ぶこととなった。遠目からでもしっかりと分かる。一人の男子生徒が旧校舎の廊下を歩いているのを確かに目撃した。多分あれは人間だろう。幽霊だったらあまり日光は浴びたくないのに、彼は廊下に差し込む光を避けようとはしていなかった。
私はスキップだとかそういった余裕はなく、それこそ全力疾走で旧校舎内に入っていった。相手は人間なのだから突然消えることなんてないだろう。そうは分かっていても不安になる気持ちもあったし、また久々の話し相手ということで気分が高調してもいた。走っていて苦しいはずなのに、それでも顔が綻んでいるのが分かった。
そして、ようやく男子生徒がいるであろう教室の前についた。今すぐにでも扉をぶち破って教室に入りたいのだが、こんなに息切れしている女子生徒が飛び込んできたら誰だって訝るだろう。しばし体と心を落ち着け、それから柄にもなく少し緊張しながら扉を開いた。その瞬間、あまりいいものではない空気が教室から溢れ出した。私の視線の先には、驚いて目を見開きながらこちらを見つめるマスクをつけた少年と、それからその向こうに鎮座している色々な魔術的道具があった。この状況から推測するに、彼は悪魔でも呼び出そうとしたのだろうか。だったら、それはあまりお勧めできない。たしかに幽霊になってずっと成仏できないまま廃人同然になるか、一生悪魔に弄ばれるかとなったらそれは人にによって違うだろうが、個人的には自己を保てさえすれば幽霊のほうが楽しいのでそちらをお勧めしたい。なので私は、親切にそのことを教えてあげることにした。それはこうして私の話し相手になってくれることへの感謝の気持ちの表れでもある。


「悪魔召喚はあんまりお勧めできないですよ?」


今だ何も言うことのできない少年のそばによって、そこに置かれているあらゆるオカルトグッズを眺めた。私からすればガラクタと思えるようなものもあったが、しかし素人にしては中々いい道具選びのセンスを持っているように感じた。時代が時代なら魔術師として十分通用する程度には彼の知識はありそうだった。


「……君は、何だ」


少年がようやく言葉を発したかと思えば、それは少し失礼だとも思える内容だった。まだ誰だ、なら分かるが、何だとは何だ。まるで私が人間外だとでもいうような言い方ではないか。いや、私は人間外なんだけれども、それでも彼にそれが分かるはずもないだろう。


って名前ですけど?」

「違う、そういう意味じゃない。……君は人間じゃない」


眉間に皺を寄せ私を睨み据える少年には、所謂霊感というものは人並み程度にしかない。彼が風間望と同じように人間ではないということは絶対にない。それなのに、どうしてこうも言い切れるのだろうか。私は驚きと、それから好奇心を抱いた。だから、私が人間外だと断定する根拠を聞いてみることにした。


「どうしてそう思うんですか?」

「匂いが、しないんだ」

「へ? 匂い?」

「……僕は生まれつき鼻がいいんだ」


予想外の答えに私は一瞬驚きで目を開いた。確かに鼻が異常なほどにいい人物はいるらしいが、その人物とこうしてあっさりと出会えるとは。風間望といい彼といい、どうしてこの学校にはそんな特殊な人物が集まるだろうか。つまり、ここにはそのような特殊な力でもあるのかもしれない。
それにしても、匂いがしないとは。あまり気にしたことはなかったが、言われてみればそんな気がする。これは所詮仮の器なのだから、そのような機能はつけなくていいと考えてのことかもしれない。


「まさか匂いでばれるとは思わなかった」

「……君は何なんだ」

「私にはって名前があります。出来れば下の名前で呼んでください。……で、質問に簡潔に答えるなら私は幽霊です」

「その幽霊がどうして僕のところに来るんだ」

「暇つぶしです。それと、さっきも言ったけど悪魔を呼び出すのは止めときなさいな」


今だ警戒心を解こうとしない彼に微笑みかけながらそう言うと、彼は一瞬私から視線を逸らした。そして、なんとも気落ちした声で答えた。


「……もう無駄だ」

「つまり、悪魔と契約したんだけど騙されて、復讐でもするつもり?」

「……そんなところだ」

「でも、悪魔に復讐なんて無謀だと思いますよ。悪魔が仲間を殺す訳がない。頼るのならば、別の種族のほうがいいんじゃないですか? 例えば、宇宙人とか幽霊とか」

「君に……さんに助けを求めろと?」


彼が私の名前を呼びなおしてくれたのが嬉しくて頬が緩んでいくのが分かった。ただ単に彼が律儀な人なのか、助けてもらおうと媚を売ったのかは分からないが、結果的に嬉しかったのだから相手の思惑は私には関係ない。


「……ただで、そんな面倒なことすると思います?」

「やっぱり君も悪魔と同じじゃないか」


少年は表情を歪めるとそう憎憎しげに吐き出した。その気持ちが分からなくもなかったのが、それよりもまず私には気になることがあったのでそちらを先に尋ねることにした。


「ところで、君の名前はなんて言うんですか? 私は名乗ったんだから、貴方の名前を知る権利があると思うんですけど」

「……綾小路行人」

「じゃあ、綾小路先輩。私がこれから私が言う条件を呑むんなら助けてあげなくもないです」

「……一応、聞いてみる」


こくりと首を縦に一回振った綾小路先輩のあまりの可愛さに悶えそうになるのを堪えながら、私は彼に人差し指を突きつけた。


「条件その一! 私が暇なときには私の相手をすること!」


続けて、中指も立てる。


「条件その二! 貴方が死んだら、私が所属している株式会社霊界に入社すること!」


そう高らかに条件を掲げる私とは対照的に、綾小路先輩はぽかんと口を開けて私を見ていた。その姿すら可愛い。というか、だからこそ私は彼を救うことを決めたのだ。新堂先輩や荒井先輩、坂上君……風間先輩とは違った別のよさがある。この学園は生徒の質が高すぎる。
綾小路先輩はようやく我を取り戻したのか、それでも納得できないといった表情で口を開いた。


「株式会社霊界とは何だ?」

「簡単にいうなら人間を恐怖のどん底に落として楽しもう、っていう会社です」

「条件一の意図がわからないんだが」

「誰だって美形と一緒にいたいはずです」


私が胸を張ってそう答えると、綾小路先輩は盛大にため息を吐いた。どうして彼がそんなことをするのか分からなかったが、しかしあまりいい意味ではないということは分かるので、自然と眉間に皺が寄った。


「それで、どうするんですか? 結構破格の条件だと思うんですけど」

「……まだ大川よりもマシだな」

「ってことは契約成立ってことにしますよ。まぁ、幽霊に契約書なんてありませんけど。……それと、努力はしますが絶対に貴方を悪魔から解放できると保障できませんよ。相手の強さと出方次第です」

さんはどの程度の力があるんだ?」

「一度しかやりあったことはないんですが七つの大罪を司る悪魔とかいうのと闘って、結果は引き分けでした。あちらも中々強かったんでお互い妥協しあったんです」


懐かしき若きころのあの闘いを思い出す。結局決着はつかなかったが、相手は強く出来たらもう一度闘ってみたいような気もする。
綾小路先輩はしばし呆然と固まっていたが、思い出したように私の両肩を掴んだ。両手に力が込められており、また表情も一転明るいものへと変わっていたので、それだけ彼が興奮しているということが分かった。


「す、凄いじゃないか! それだったら、大川に勝てる!」

「そうなんですか? 面倒ごとになると困るから魔界にはあんまり干渉してこなかったんで、詳しいところが分からないのですが」

「十分だよ! 大川よりもずっと位の高い悪魔じゃないか!」


顔をこれでもかというほどに綻ばせている綾小路先輩を見ていると、なんだか私まで嬉しくなってくる。それに、彼の話を聞く限りでは大川とやらはあいつらよりも弱いらしい。だったら、何とかなるかもしれない。
その後、綾小路先輩から大川についての話を聞き、近いうちに行うであろう悪魔との交渉に備えることにした。