金曜日。つまり、明日からの二日間、鳴神学園の人口は一気に少なくなる。それは私にとっては面白いことではないが、だからといって誰もいないわけではないので、暇そうな人物を捕まえて遊べばいいだろう。それでも憂鬱な気分になることに変わりはなく、私はそんな気分を払拭しようとこの学園内で一番見晴らしがいいであろう屋上にいた。そこに先客がいたことに、しかもその人物が最後の捜し人である荒井先輩であったことに、私の気分は高調する。私はうきうきとした気分で、軽くスキップをしながら彼に近づいた。
「誰かそこから落とすつもりなんですか?」
荒井先輩は私の存在に気がついていなかったようで、素早い動きで屋上の背半分ぐらいの柵を背に体ごと私のほうを向く。そこまで怖がることはないと思う。少しだけショックを受けたが、こんなのでめげていては霊界で成り上がることなんて出来ない。私は気を取り直して、笑顔をしっかりと作ると話しかけた。
「それとも、貴方が落ちるつもりだったり?」
荒井先輩は私をじとりと睨みつけると、何も言わずにここから歩き去ろうとする。私は慌てて彼の手首を掴んだ。すると、荒井先輩は先ほどよりも鋭い眼光で私を見てきた。ここからいなくなられて一人になるよりも、睨みつけられていたほうがいい。だから、私の笑みは微塵も曇ることはなかった。
「……何ですか」
「だって、気になるじゃないですか。君が落ちるのか、他の誰かが落ちるのか」
荒井先輩は何が面白かったのか笑い声をあげた。それは爽やかとは対極に位置するもので、彼の雰囲気には見事にマッチしていた。
「そうですね……。貴女が落ちる、なんてどうでしょうか?」
「どうせ落ちるならもっと高いほうが楽しそうでいいですねー」
荒井先輩がとても楽しそうな雰囲気なので、私も彼以上に楽しそうな笑みを浮かべてそう返した。すると、荒井先輩の表情は一変して、不機嫌なものへと変わった。怖がってでも欲しかったのだろうか。
しばし無言の時が流れた。私はその間、荒井先輩の観察をすることにする。彼は肌が悪い意味で白く、また体格がいいとはいえない。何処からどう見ても文科系の人間だろう。こんなので人が殺せるのか甚だ疑問だが、技術が伴っていれば問題は無いだろう。
それにしても、本当に荒井先輩は可愛い。坂上君とはまた違った可愛さがある。地面に引きずり倒して、暴力的なことをしてみたくなる。さすがにそこまでは出来なくとも、小突いてその反応を楽しむ程度でも楽しそうだ。調査中に隙があったら一発殴ってみよう。荒井先輩にとっては迷惑な予定を立てながら、彼が何か反応を返してくれるのを待った。しかし、一向に何も言わないので、ちょっとだけ悪戯をしてみることにした。私は柵のほうに近づく。荒井先輩の手首はしっかりと握っているので、彼も私についてこざるを得なくなる。
「……まぁ、でもやられっぱなしってのは癪なんで」
荒井先輩の手首を彼がいるほうではない斜め前方に投げ出す。突然のことで、しかも結構な力でやったので、荒井先輩はバランスを崩して私のほうに倒れこむ。彼の制服の襟を掴むと、それを柵の向こうに突き出した。当然、上半身全てではなくとも荒井先輩の肋骨の下から上が柵の向こうにある形となった。しかも、かなりバランスが悪いので私が手を放したら、そのまま落ちてしまいかねない。荒井先輩もすぐにそれを察したのか、手すりを手で掴んだ。ただでさえ白い彼の指先が、もっと白くなっている。荒井先輩の横顔が強張っているのがわかって笑いが込み上げてきた。
「落とされる前に落とすかな?」
そう言ってから、荒井先輩をこちらに引き寄せた。彼がしっかりと立ったことを確認すると、私は徐に手を放して荒井先輩に笑いかけた。荒井先輩は途端に私と距離を取る。
「なーんて、冗談ですよ。怖かったですか?」
荒井先輩は今だ強張った表情のまま、私のことをまるで呪い殺しそうな勢いで睨みつける。生きている人間に幽霊が呪い殺されるというのは笑い話にもなりはしない。私はそれを鼻で笑い捨てた。そして、彼に一歩近づく。荒井先輩はびくりと大げさに身を震わせた。どうして彼はこうも私の加虐心煽るのか。
「そんな警戒することないじゃないですか。そもそも趣味の悪いことをしたのは貴方が先です」
「言葉で脅すのと、実際に行動して脅すのでは全く違いますよ」
「……それは認めます。とりあえず、すいませんでした。悪ふざけが過ぎました」
そういうプレイはきちんとした信頼関係を築いてからのほうが、お互い楽しむことが出来るというものだ。だから、私はあっさりと荒井先輩に頭を下げた。彼はそれでも警戒心を全く解くことなく、私を睨み続けている。とてもじゃないが友好的な関係にはなれそうにない。その原因は私の先ほどの悪戯のせいが大半を占めるのだろうが、荒井先輩は元々フレンドリーな人物とは思えない。つまりは、色々な意味でインパクトを与えることが出来た私の先ほどの行動はあながち間違いでもなかっただろう。少なくとも、荒井先輩は当分私のことを忘れないでいてくれるだろう。つまりは知り合いなのだから、今後話しかけてもいいというわけだ。自分でもめちゃくちゃな理論だとは思うが、私の人生なんて大抵無理を通して道理をはるか銀河の、それこそスンバラリア星ぐらいまで蹴っ飛ばしてきた。今更どうということもないだろう。
「……貴方は一体何がしたかったんですか」
「暇つぶしに決まってます」
胸を張ってそう答えると、前方から重々しいため息が聞こえてきた。そこには当然荒井先輩がいて、私は恨めしげに彼のほうを見る。荒井先輩は心底疲れきったような顔で、それでも面と向かって口を開いた。
「でしたら、他の方に当たってください」
「私は貴方がいいんですー」
「迷惑です」
荒井先輩はそう言い捨てると足早に屋上から去っていった。今度も止めようと思えば止めれたが、それを許さないような雰囲気だったので空気を読んだ。
乱暴に閉じられた扉が錆付いた耳障りな音を立てて閉じる。私は一人、屋上に取り残された。先ほどまでは全然気にならなかったのに、今では凍てつく風が私を苛む。どうしようもない空虚感に襲われた。これが今まで散々人間で遊んできたツケなのだろうか。
……らしくもなく暗い考えをしてしまった。頭を左右に振ってその気持ちを追い払うと、私もまた屋上を後にすることにした。荒井先輩の言ったとおりに暇そうな人物を探すか、旧校舎にいるであろう同僚と話でもしよう。