「まーこんなもんかな!」
見慣れない鳴神学園のセーラー服を着た私が、鏡越しにこちらを見ている。
つくづく鏡とは不思議なものだと思う。霊体である私でもその姿を映すことが出来るのだ。
しかも、普通の人間が鏡に映った霊を見ることなんて滅多にないのだ。波長なんかが合うと、時々目撃されるが。
鏡は光を反射して物体を映すことが出来る、なんて人間の学者様がそう言ったようだ。
では何故原子やらとかで作られていない霊もその姿を映すことが出来るのか、なんて小一時間ほど問いただしてみたい。
だが、私にはそんなことをしている暇なんてなく、私にはある重要な任務が与えられているのだ。
その重要な任務とは――私が勤めている「株式会社霊界」へ多大なる協力をしてくれる人間達に感謝の句を述べると共に、そんな彼らを勧誘しにいくのだ。
人材調達部に入って、かれこれ五十七年。
そんな大切な役目を任されたことには感激したね。
私がその大任を任せられたと知ったその日は、友と一緒に朝まで飲んでその喜びを分かち合った。
どうやらその時物凄い騒ぎを起こしたらしく、二度とその店には入れそうにないと、翌朝友人から言われた。
そのお店は結構気に入っていたので残念にも思ったが、それよりも現世に美少年観察じゃなくて、やっと自分の努力が認められたことが嬉しかったのだ。
そんないきさつで、私は今鳴神学園旧校舎に来ていた。
旧校舎はもう使われていなく、それはもう酷い有様だったが、幽霊である私からすれば日のあたらない居心地のいい場所だ。
先方は新校舎のほうで勉学に勤しんでいるようだが、今は授業中。
接触を図れる放課後まではまだ時間があるので、旧校舎で時間潰しをすることにしたのではなく、此処に住み着いている幽霊に話を聞きにきたのだ。
この旧校舎には、色々な霊が住み着いており、中には株式会社霊界からの派遣社員もいる。
派遣社員は、正社員である私よりも格下。
肩でも揉ませようとなんてことはまったく思わずに、私は旧校舎を探索してみることにした。
「誰もいない」
くまなく校舎内を探してみたのだが、人っこ一人いやしない。
誰かが存在していたような気配は感じられるのだが、それでもその存在を視認することはできない。
派遣のやつらでさえ、定められた場所にいない始末だ。
報告書にそのことも載せてやろうかとも思ったが、懐が広い私はそんな可哀想なことはやめておくことにした。
人間の世界では派遣切りだとかで大変らしいが、霊界はそんなことはなく、むしろバブルの真っ最中だ。
どうやら人間界が不況になると霊界は好況になるらしい。
霊界と人間界にどういう因果関係があるのか考えながら、遊べそうなものを探して歩き回る。
と、前方曲がり角の奥のほうから生きている人の気配を感じた。
どちらかというと死んでいた方が良かったのだが贅沢は言っていられない。
今の私は人形に入り込んでいるので、生きている人間にも姿が見える。
いったいこれが何から出来ているのかは知らないが、質感が生きている人間にそっくりなのだった。
どこかからか死体を拝借し、それを再利用しているのだとしても私は驚かない。株式会社霊界ならやりかねない。
それにしても、あまり嬉しくもないのだがその人形の容姿は私そっくりだ。
製作者は気を利かせてもっと美人につくるべきだと思う。
どうやって知ったのかはわからないが、スリーサイズもまったく一緒だった。
とにもかくにも、私は先ほどからしているような感じで、窓から外を眺めることにした。
窓ガラスにそっと右手をつき、視線は右斜め下をぼんやりと見る。儚げな女の子のイメージだ。
これで、風が髪を撫でていたら完璧なのだが、あいにくながら髪がなびくほどの隙間風は吹いてこなかった。
そんなことをしているうちに、足音はどんどん近づいてくる。
何と話しかけようかと考えていると、視界の端で白いワイシャツが見えた。
何気ない感じでそちらを振り向く。相手方も私の存在に気づいて、足を止めていた。
「いい男……!」
そこにいたのは、背の高い精悍な顔つきをした男子生徒だった。
きりりと釣りあがった目は意志の強さが感じられる。兄貴と後輩から慕われていそうな男気溢れる人だった。
思わず「や ら な い か ?」なんてトイレにでも誘いたくなるような人だ。
思わず呟いてしまった言葉はどうやら聞こえなかったらしく、彼は不審げにこちらを見ている。
出会いは待っていてもやってこない、こちらから歩まねばならない。
そう思って、私は彼に笑いかけた。
「今って授業あるはずだけど何で此処にいるの?」
「……お前もだろ」
「私はさぼりに決まってるじゃない。君もだよね?」
声もかっこいいじゃないか。
声フェチの私にとっては、それだけで優良物件すぎる。
これでスポーツ万能、頭も良しだったら言うことはない。
しかし、どうやら愛想は悪いらしく私の問いかけに彼は無言を返すと、ついでに踵も返し来た道を引き返そうとする。私は慌ててその後を追った。
床が腐りかけているのか、私が一歩進むたびにギシアンとうるさいので、私が追ってきていると彼はわかっただろう。彼は足を止めると、こちらを振り向いた。
その眉間には、皺が寄せられている。そんな顔ですらかっこいい……!
「なんだよ」
「いやー、それが暇でさ。話し相手を探してたんだけど、誰もいなくて! で、丁度良いところに君が来たから」
「話し相手になれってか」
「うん!」
にっこりちゃんスマイル炸裂! これで落ちない男などいない!
彼は私の顔をしげしげと眺め、そしてそれから口の端を歪ませた。なんとまぁ、邪悪な笑みだこと。
でも、どうやら私の相手をしてくれるらしい。さすが私。私の魅力に抗うことが出来る男なんていないのね!
彼は一番近くにある教室の中に入っていった。その間、こちらを見やることはなかった。
照れてるのか、かーわーいーいー!
私も彼の後を追う。教室内は、やはりというかなんというか綺麗ではなかった。
彼はそこいらに積まれている椅子から、比較的綺麗なものを選んで取り出している。そうして、床に置くとそれに座った。
私のほうを、催促するように見ている。……普通、私の分も取ってくれるんじゃないのか? 私も、彼に椅子を用意しろという気持ちを込めて、見つめ返す。
甘い雰囲気というよりは、張り詰めた空気が一瞬流れた。
結局は、彼が折れて私の分の椅子も用意してくれた。
結構汚れている気もしたが、私だって子供じゃない。年上らしく余裕を見せて、その椅子にいやな顔一つせず座ってみせる。
「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。私は。よろしくね」
「……俺は新堂誠だ」
彼も名乗ってくれたことに、いささかの驚きを覚えた。
彼の態度の悪さからして、無視されるかと思っていたからだ。見た目は不良系だけど、中身はいい人のようだ。
――それにしても、新堂誠ってどこかで聞いたことがあるような、ないような。はて、一体どこで耳にしたのだろうか。
会ったことがあるのなら、私は新堂君のことを絶対忘れないだろう。こんなかっこいい人を忘れるぐらいなら、今の任務を忘れたほうがいい。
任務なんて疲れるだけだが、美少年なら違う。目の保養や耳の癒しになるもの。
「なぁ、お前高木ババァの噂って知っているか?」
彼の名前をどこで聞いたことがあるのか、考えていると唐突に新堂君が話しかけてきた。
何の脈絡もないな、おい。心の中で突っ込みをいれつつも、一旦集中を新堂君のほうに向ける。
高木ババァ……もしかして、我が社の正社員の高木さんのことだろうか。高木さんは我が社で、かなり活躍している。
私とは所属している課が違うので、会った事はないのだがその武勇伝は噂でよく聞く。
だが、新堂君が言った噂とは、また違ったものだろう。
私は人間界で、高木さんがどんな風に噂されているのかを知りたくて、知らないふりをすることにした。
「高木ババァって? 私、聞いたことないや」
「お前一年か?」
「へ? ……あぁ、うんそう! 一年生なの」
「一年の癖に先輩にタメ口か?」
「あ、ごめんなさい! 私、敬語って苦手だから……」
鳴神学園の制服を着ているものの、私は学籍を持っていない。
だから、一年とか二年とかは関係ないのだが、そんなことを言おうものなら警察に突き出される。
慌てて、嘘をついてしまった。ま、バレなきゃいいか。
といっても、嘘の部分は一年というところだけ。
敬語が嫌いなのは本当だ。私は上司にすら、まともに敬語を使ったことがない。霊界にはそんなに厳しい上下関係はない。
その割には後輩や、一部の上司も私に対して敬語を使うのだ。何をそんなに気を使っているのかと、後輩に聞いてみたら、土下座をして謝られた。
過去の回想をしている私は、新堂君――もとい、新堂先輩のため息によって、現実世界に引き戻された。
「まぁ、いいけどよ……。先に言っておく。俺が今から話すことを信じようと信じまいと、それはお前の勝手だ」
そう前置きをして、新堂先輩は高木ババァの話を始めた。
「…………」
簡単に要約してみると、高木ババァの話を聞いた人は一週間以内に10人以上にその話をしないといけないらしい。
この話を聞いた聞いた新堂先輩は、クラスメイトの吉田に話したらしい。
話を聞く限りでは、吉田は私の嫌いなタイプだ。ついでに言うなら、見た目も嫌いだ。飛び出している腸ぐらいは収めたほうがいいと思う。新堂先輩にもたれかかるようにしている吉田を見ながら、そう思った。
吉田は所詮噂だと、誰にも話さなかったらしい。結局は、高木さんによって殺されてしまうのだが。
で、まぁ紆余曲折があって、吉田は新堂先輩に取り憑いたらしい。
吉田に付き纏われることになった新堂先輩は、毎週10人に高木ババァの話をしなければいけなくなったということだった。
どうりで、私の暇つぶしの相手になってくれたわけだ。誰しも命がかかれば、なりふり構っていられないようだ。
でも、これってねずみ算的にどんどん話せる相手がいなくなっていくんじゃなかろうか。暗算なんて苦手分野だからやる気はしないが、新堂先輩は定められた寿命よりも早く死ぬことは明快だ。
「お前がどうするかは俺には関係ない。じゃあな」
私の無言をどう取ったのか、彼はそういうと立ち上がった。
また一人になったんじゃたまらない。私も立ち上がると、彼の二の腕を掴んだ。ほどよく筋肉がついていて、噛み付いてみたいなどということは思わない。私は断じて変態ではない。
「ちょっと待って――くださいよ! 新堂先輩がいなくなったら、また一人ぼっちになっちゃいます。退屈じゃないですか!」
新堂先輩は、目を大きく見開く。口も間抜けにぽかんと開けていた。
私の行動は、そんなにも予想外だったのだろうか。退屈は霊をも殺すのだ。
そもそも、死という概念を持たない霊の人生に終わりはない。私の知人には、ちらほらと成仏をして消えていった人がいるが、それは死ではない。転生だ。
逆に何百年も霊界に住み着いている人がいる。その人たちは大半はまるで廃人のようなのだ。彼らは成仏が出来ない。というより、どういうプロセスをたどれば成仏できるのかわかっていないのだ。
死という安易な逃げ道がないから……だからこそ、私達霊は存在意義を見出そうとする。何かをしていたいという気持ちから、株式会社霊界だって出来たのだ。
霊界を人によっては天国という人もいる。でも、霊界は天国であって天国でない。
廃人同然に終わらない永遠を繰り返すぐらいなら、むしろ地獄の悪魔に弄ばれるほうがいいのかもしれない。
私の必死な思いが伝わったのか、彼は今度は暖かい笑みを浮かべてくれた。やばい、きゅんとしたぜ……。
「お前、変なやつだな」
「変とは失礼な! でも、ありがとうございますね。付き合ってくれるんですよね?」
「あぁ、いいぜ。俺も暇だしな」
「勉強はいいんですか? あ、ちなみに私は勉強しなくても、大丈夫なんで心配いらないですよ!」
「変っていうか、馬鹿なんだな」
「あー! 馬鹿っていったほうが馬鹿なんですよ! 新堂先輩のバーカ!」
私達の楽しい会話は、無粋なチャイムによって終わりの時間が近づいていることを知らされた。所謂、昼休みをつげるチャイムである。
昼休み即ち昼食の時間だ。
弁当を持ってきている学生もいるだろうが、学食を利用する生徒もいるだろう。
殺人クラブメンバーの中にも学食で昼食を食べる人がいる、かもしれない。そこで何気ない感じで、相席して仲良くなっちゃおう! という魂胆なわけだ。
「それじゃあ、新堂先輩楽しかったです。早く学食に行って席を取らなきゃいけないんで、失礼しますね!」
「おぅ、じゃあな。……で、お前どうするんだ?」
スカートについた汚れをはらいつつ、立ち上がって新堂先輩に向かって軽く頭を下げる。
顔をあげると、新堂先輩の挑戦的な笑みが目に入ってきた。どうする、とはもしかして高木さんのことだろうか?
「私は話そうとは思いませんね。面倒ですし」
「死ぬとしても、か?」
「死ぬのは怖くありませんよ」
だって、死んでますし。心のうちでそう呟いて、歩き出す。ちょっと名残惜しい気もするが、仕事が待っている。
仕事を真面目にこなさなければ給料が入ってこない。食べなくても生きて(?)はいけるが、せっかくの人生は楽しく過ごしたい。
学食に行く前に、改めて殺人クラブの面々の顔を思い出さなければいけなかった。じゃないと、誰が誰だかわからないしね。
そう思って、彼らについての書類を取り出す。手に書類を握っているイメージを持って、瞬きをすれば、ほら。
手の中には数枚の紙の束が収められていた。どういう仕組みかはしらないが、煩わしいものを持たなくてすむのでありがたい。殺人クラブのメンバーの顔写真が載っている部分を引き出す。
「あ」
そこには、先ほどまで話をしていた彼――新堂誠の姿があった。