信繁様が幸村様に呼ばれて、彼が滞在していた宿に入っていったのは、太陽が丁度真上にある頃のことであった。しかし、今はもう太陽は屋根の向こうに沈もうとしている。信繁様はあたしも同行することを嫌がったので、仕方なく宿の入り口が見える位置で待っていた。そうして、ようやく信繁様の姿が宿の軒先に現れた。大阪城へと向かう通りを歩く彼に近づいて、後ろから話しかける。

「一体、何の用事だったんです?」


 信繁様は微塵も驚かずに、前を向いたまま口を開く。その横顔は少し疲れてみえた。


「秀吉様のことで、少し、な」


 言葉少なにそれだけ言って、信繁様は息を吐く。なんだか嫌な予感がした。今、信繁様が世話になっている秀吉様の調子は芳しくない。寝たきりになって随分長い。最近は意識も朦朧として、話もまともに出来ないらしい。おねね様が付きっ切りで看病をしていた。彼女は明るく振舞っているが、城中は諦めの空気が流れていた。


「次の満月の晩だそうだ」

「え?」

「――それを知ったところで、私にもそなたにもどうにも出来ないんだがな」


 そう言って信繁様は目を伏せた。空を見上げた。太陽とは反対側に、上弦の月が白く薄らと浮かんでいた。


「その前に、一度秀吉様に会わなければならないな」

「どうしてです?」


 信繁様は口を開きはしたものの、何も言わずに閉じた。眉を寄せて、難しい顔をする信繁様を見て、失言だったと心の中で顔を顰める。


「――幸村も不憫な奴だな」


 ため息を吐きながら、信繁様はそうぼやいた。その意味が分からず、首を傾げる。横目でそれを見られていたのか、信繁様はどこか寂しげに笑った。


「何時だったか、殿の目的を話しただろう。それを達成したら、彼女がここに留まる理由はなくなる。つまり、幸村もお役御免という訳だ」


 あたしは何も言葉を返せなかった。安易な同情の言葉一つ言うのも躊躇われた。
 信繁様がこうして直接的な言葉で、幸村様を気にかけるような言葉を言ったことがない。変に強情なこの二人は、決して馴れ合おうとはしないのだ。心の底では、心配しているであろうに本人は勿論、誰にもそのことを気取られないようにしている。だからこそ、こうして言葉にした信繁様の心情は計り知れない。それに加えて、幸村様のことを考えても胸が苦しくなる。あたしが幸村様と離れなければならない状況になったら、どう思うのか。想像すらしたくなかった。


「今更、弟がいるなどと話したら、三成殿達はどのような反応をするであろうか――」


 暮れる夕日を遠くに眺めながら、信繁様はぽつりと呟いた。


「あの人たちなら気にしないですよー。甲斐ちんなんかは大喜びしますよ、きっと」


 信繁様の背負う空気が重たかったので、努めて明るい雰囲気を装う。その甲斐あってか、彼は口元に薄く笑みを浮かべてくれた。


「それも楽しそうだ。まぁ、あやつは嫌がりそうだがな」


 その様子が容易に想像出来て、自然と笑いが零れた。ただ一人、その場にいない人がいる。そのことが、幸村様にとっては辛いだろう。――下手をしたら、後を追うかもしれない。そのことに思い当たって、口を閉ざした。


「――どうすることが最善なのだろうな」


 信繁様はその問いに、あたしは何も答えることが出来なかった。