室内にはぱちりぱちりと駒を打ち付ける音だけが響いている。信長様と客人は将棋を興じているはずなのに、二人はほとんど間を置かずにどんどんと手を進めている。部屋の隅に控えているので盤は見えないが、二人が時折漏らす言葉から信長様が劣勢だということが伺えた。


「――詰みだな」


 ぴしりと音高く、女が敵陣に駒を進めた。信長様はしばし盤上をじっと見つめた後、ふっと表情を緩めた。


「流石、ぞ」

「負けるのは嫌いでな。何であろうと、勝つためには手段を選ぶつもりはない。例え、このような遊戯であってもな」

「果たして予の勝ち目はあったのか」

「ないな」


 そんなことを言いながら、二人はそれぞれの駒を箱に戻す。そうして、元々そうしてあったように将棋盤の上に二つの箱を置くまで、二人は無言であった。
 緊迫した空気ではなく、かといって緩みきってもいない、独特のどこか居心地が悪い雰囲気が室内を支配する。


「それで、一体何の用があったというのだ」

「猿の援軍に向かう。うぬも着いて来い」

「言われなくても、憑いて行くさ」


 丁度、秀吉様が中国攻めをしている時であった。織田軍が優勢ではあるものの、援軍を出すのはより勝利を確実なものにするための布石であった。また、信長様が直々に出陣することで、味方を鼓舞し、敵の戦意を挫くためである。そこに、この女を連れて行くと信長様は言っているのだ。この得体の知れない、信長様は死ぬと予言した女を、連れて行くのだ。反対すべきだ。そう頭では理解しているのに、楽しそうな女が部屋から出て行くその背を見つめることしかできない。


「良い旅になるよう、祈っている」


 女は口先だけでそう言った。嫌な予感がした。