重々しい沈黙が流れる。誰も何も言わなくて、非常に居心地が悪かった。それは須田君も思ったことらしく、彼は口を開いては閉じ、と私と同じことをしていた。
そんな沈黙も宮田さんが怒ったような表情で口を開いたことによって破られた。


さんは、これでいいんですか?」


眉間に皺を寄せているし、声色はぶっきら棒で、視線も射抜くように鋭いものだったが、それでも宮田さんが怒っているという風には感じられなかった。
正直に言ってしまうのならば、私は死にたくなかった。依子さんやと買い物に行きたいし、志村さんにもっと頭を撫でてほしい。牧野さんとお茶でも飲みながら話してみたいし、宮田さんともっと一緒にいたい。他の人達とだって、もっと交流してみたい。しかし、ここで私がなすべきことをしなければ、それらをすることが出来なくなるばかりか、皆が死んでしまうかもしれない。だったら、そこに私がいなくてもいいから、皆に幸せになってほしい。この結論が変わることは絶対にないが、それに至るまでに色々と躊躇があるのは確かだった。こうやって考えてみると、まだまだ未練が残っていた。それは、むしろ以前の私と比べたらいいことなのかもしれない。
私は今の自分に出来うる限りの笑みを浮かべて、宮田さんを見た。


「そりゃあ、未練がないと言ったら嘘になりますが……そもそも、私は皆を幸せにしたくてここにいるんです。それが叶えられるんですから、嬉しくも思っていますよ」


前向きに考えるのならば、好きなゲームの世界に行くことが出来て、その中で憧れていたキャラクターに会うことが出来て、しかもハッピーエンドにすることが出来るのだ。もしこれが夢で、そしてここで死ぬことによって起きれるのなら、それはただ現実に戻るだけ。私に失うものなんてないのだ。
もちろん、私はこれが夢ではなく現実だと信じている。だから、死が怖くないといえば嘘になる。だから、こうして前向きなことを言って、自分を奮い立たせようともしていた。
宮田さんは視線を私からはずし、地面を見ている。俯いているのでその表情は伺えない。不意に宮田さんがこちらに近づいてきた。彼らしく迷いの無い足取りで、一直線にこちらに来られると、思わず気おされて一歩下がってしまう。そして、宮田さんは何を思ったか、私を渾身の力を込めて抱きしめた。恥ずかしいとかそんなことよりも、咄嗟に命の危険を感じてしまうほどだった。
息苦しさを感じてそれを宮田さんに伝えようと思ったのだが、その前に宮田さんが話し出した。


「俺は嫌です。嬉しくない」


静かにそう吐き出された言葉は、私の胸を苦しくさせた。何も言葉を返すことが出来ない。宮田さんは腕の力を抜くと、私と視線を合わせて顔を見つめてくる。宮田さんの口がゆっくりと開かれるのが分かった。多分、彼が言おうとしている言葉は、私にとってとても嬉しいもので、そして今最も聞きたくない言葉だろう。


「俺はのことが」

「宮田さんっ!」


遮る言葉が上手く思いつかなかったので彼の名前を呼び、そして彼の胸板を押して距離を離した。自分でそうしたのに、離れていく体温が寂しく思えた。
宮田さんは少しだけ目を見開き、驚いているのが十分に分かった。しかし、すぐに真面目な顔つきに戻り再び何か言おうとしたが、それを今度は宮田さんの肩を叩くことによって八尾さんが止めた。
宮田さんは一気に不機嫌な表情になったが、八尾さんはそれを気にせず彼の手を引いて、離れた場所に連れて行った。
私はあの言葉を聞かずに済んだことに安著し、ゆるゆると息を吐く。もしも、聞いてしまったら私は儀式を行いたくなくなるだろうからだ。私の我侭で宮田さんの気持ちを踏みにじってしまったのが申し訳ないが、そうでもしないと私は躊躇してしまうのだ。
気分が下降気味の私に、今度は牧野さんと須田君が近づいてきた。牧野さんは曖昧な微笑を、須田君は険しい表情をしていた。


「弟がすみませんでした」

「いえ。むしろ、私のほうこそ」

「……これしか、方法はないのかよ」

「みたいだね。もっと、牧野さんや須田君とも話してみたかったなぁ」

「俺もそう思ってるし、美耶子もそう言ってたよ」

「私もですよ。もちろん宮田さんも」


いざこうやって別れの時が訪れたら、何を話したらいいのか分からなくなる。それは二人も同じらしく、それに気づいて苦笑を浮かべあった。
須田君は徐に頬を叩くと、陰鬱だった表情を一変、彼らしい明るい顔に戻って言った。


「こういう時に何を言えばいいかなんて分からないからさ、俺何でもするから言ってよ!」

「だったら、私はいつまでも須田君に笑っていてほしいな。そして、出来ればその隣に美耶子ちゃんがいて、二人で笑いあっていてほしい」


後半は笑いを含みつつそう言ってみれば、須田君は瞬時に顔を赤くした。そして、何やら弁解めいたことをしてみせる。それが微笑ましくて、私と牧野さんは笑いあった。すると、須田君は今度は不貞腐れたように唇と突き出しそっぽを向いた。そんな態度が可愛らしくて、笑いを深くしてしまった。


「そんなに笑うことないじゃん……」

「ごめん。須田君が可愛くって、つい」

「男が可愛いって言われても嬉しくない」

「やっぱり、かっこいいって言われたいわよね。特に美耶子様には、ね?」


須田君は後ろから突然そんな声がかかって飛び上がった。私と牧野さんは立ち位置的にそれに気づいていたので、驚くことはなかった。八尾さんはにこにこと楽しそうな笑みを浮かべていて、須田君はそれとは対照的に不機嫌そうだった。その頬が赤みを増しているのに気づいて、再び私と牧野さんは笑ってしまう。驚いたことに宮田さんまでもが、ほんの僅かだけれど口角を上げていた。
一通り、笑いが収まると私は地面に突き刺さった焔薙のほうを見た。皆、私の視線とその視線の意味に気づいて、真面目な顔に戻る。最後にこれだけ笑えてよかったと思う。それに、これ以上こうしていたら私はいつまでも儀式をしなさそうだった。
私は皆から離れて焔薙の近くまで行く。最後にもう一度だけと皆の顔を眺める。
須田君は私の言葉通りにっこりと頑張って笑っていて、八尾さんは毅然とした表情で私を見ていた。牧野さんは瞳に涙を一杯溜めながらも精一杯笑おうとしてくれていた。そして、宮田さんはあの感情を読み取れない無表情だった。それもそれで何だか彼らしいと思って、笑いが零れる。
そして、私は深呼吸をして意識を集中させると、覚悟を決めて口を開いた。


「皆を幸せにしたい。皆に笑って暮らしてほしい。そして、その為の代償として……私自身を差し出す」


言い終わった瞬間まばゆい光が溢れて、そして気がついたら私の心臓には焔薙が突き刺さっていた。重力に逆らうことなく私はゆっくりと後ろに倒れこんだ。不思議と痛みは感じなく、ただただ眠る前のあの心地よさに包まれていくのが分かった。
眠ろうと目を閉じようと思ったが、こちらに駆け寄ってくる人達に気づいてそれを止まる。
どうやら牧野さんはとうとう泣き出してしまったらしく、ぽつぽつと顔に雫が当たるのが分かった。須田君も瞳を潤ませながら、それでも笑っていた。八尾さんは優しい微笑を浮かべていた。
徐々に悪くなっていく視界の中で最後に見れたのは、宮田さんの顔だった。彼は何かを堪えるかのように下唇をきつく噛み、それは切れてしまうんじゃないかと心配してしまうほどだった。出来れば、最後は笑顔が見たかったなとそんなことを思いながら、私はとうとう流れに身を任せることにする。
目を閉じて、眠りの世界に旅立とうとしたその刹那、唇に何かがそっと触れたような気がした。