「きゃあっ」
宮田さんと共に百合が咲いているであろう場所に向かっている途中、女性の叫び声が聞こえてきた。それは明らかに生きている人間のもので、ということは彼女は屍人に襲われているのかもしれない。
助けようと私が駆け出そうとしたときには、宮田さんの白衣の裾がすぐ傍の角の向こうに消えたのが見えた。彼がそんな行動をとったことに些かの驚きを感じながらも、私も慌てて後を追う。
角を曲がると丁度宮田さんがネイルハンマーで屍人を殴り倒しているところだった。敵とは言え少しだけ同情してしまうような、そんな凄まじい惨劇が私の目の前で繰り広げられていたので、私はそちらを見ずに、彼らの向こうでしゃがみこんでいる少女に近寄った。
彼女はとても目鼻立ちがしっかりとした顔で、私はそれを見てすぐに気づく。彼女は美耶子ちゃんの姉である神代亜矢子だろう。
「大丈夫?」
ひとまず私は亜矢子ちゃんに手を差し伸べる。彼女は私の顔を不審げに見つめるだけで、一向に私の手をとろうとはしなかった。
私はどうしていいかわからず困ったが、それでも手を引くのは出来なくて、情けない笑みを浮かべて亜矢子ちゃんを見るしかできない。
「いつまで座ってるつもりですか、亜矢子様」
後ろからいつも以上に冷たい声がかかってくる。言葉遣いこそ丁寧なものだが、背筋をひやりとさせるような何かを孕んだ口調だった。
恐る恐るそちらを見てみれば、白衣に返り血を浴びた宮田さんが相当不機嫌そうな顔でそこに立っていた。どうして彼がこんなにも機嫌を損ねてしまったのか分からず困惑する。
亜矢子ちゃんもこの医者の恐ろしさを知っているのか、文句を言わず立ち上がった。無論、その際私の手を掴むことはなかった。
行き場をなくした手を横に戻そうとすると、その前に素早く宮田さんが私の手を握った。その行動に体中の血が顔に集まってくるように感じる。
ここに来るまでもそうだったが、どうして彼はこうも手を繋いでくるのだろうか。先ほどは私を引っ張っていくためだったのだろうと考えれば納得できるが、では今度のこれは一体どういう意味があるのだろうか。たとえ宮田さんに他意がないのだとしても、私は期待してしまうじゃないか。それに、すぐ前に亜矢子ちゃんがいるのだ。居心地がいいものではない。
私のパニックを知ってか知らずか、宮田さんは先ほどから寸分も違わぬ不機嫌そうな顔で亜矢子ちゃんを見据えたまま、口を開いた。
「亜矢子様、淳様はどちらに?」
「何でそんなこと知りたいのよ」
「用事があるものですから」
「その用事って?」
「亜矢子様には関係のないことです」
こんな恐ろしい雰囲気を纏った宮田さんによく口答えできるなぁと私は亜矢子ちゃんを見ながら感心してしまう。本当は徐々に険悪になっていく二人の間に割って入るべきなのだろうが、生憎そのような勇気は私にはなかった。
二人とも無言で睨みあいを続けている。途中起き上がった屍人を宮田さんがそちらを見もせず殴り飛ばしたのには感心してしまった。そして、同時に屍人への同情も少しだけ強くなる。もしも私が屍人になったら、というよりならなくても、宮田さんに襲い掛かるという愚行はしまいと心に誓った。
こうも不気味なほど静かだと返って些細な物音にも気づくもので、こちらに向かってきている規則正しい足音が聞こえてきた。屍人だとある程度はふらついたり意味の無い言葉を呟いたりするものだが、その足音は確かな足取りでこちらを目指しているようだった。
宮田さんと亜矢子ちゃんもすぐに気がついたのか、視線での攻防を一旦止めにして音がするほうを見ている。
そして、足音の持ち主はすぐに懐中電灯の灯りが届く範囲に入ってくる。その人物は亜矢子ちゃんの許婚の神代淳だった。相変わらずの羽生蛇ヘアーで、その腕にはたくさんの百合と私が探していた焔薙が抱かれていた。焔薙はともかく、百合の花は彼には似合っていなかった。
彼は不思議そうな顔で私達を見ている。そりゃあ、誰だって自分の許婚とマッドドクター、それに知らない人物が一同に会していたら不思議に思うだろう。
淳君は亜矢子ちゃんに近寄って彼女の自分の背中へと回す。どうやら、私達のことを怪しいと見なしたようだ。当然だろう。
それにしても、作中ではあんなにも美耶子ちゃんに執着していたのに、どうやら亜矢子ちゃんのことも大事にしているらしい。その割にはその気持ちは伝わっていなさそうだけれども。
淳君は不審げに私達を睨みつけ何か言おうとしたのか口を開いた。しかし、それよりも先に私の隣に立つ宮田さんの声が耳に届く。
「あぁ、ちょうどいいところに。淳様、その焔薙を渡してくれませんか?」
「はぁ!? なんでそんなことしなきゃいけないんだよ!」
「必要だからです」
「理由になってない! それに、お前みたいな奴に神代家の秘宝を渡さなきゃならないんだよ!」
宮田さんは疲れたようにため息をつく。全く状況の分からない淳君のほうがため息をつきたいだろう。
相変わらずの傍若無人ぶりに少しだけ呆れたが、それもすぐにある種の尊敬の念になってしまう。
なぜなら、宮田さんは無言で素早く淳君に近づくとその鳩尾を殴ったのだ。当然のごとく、淳君はお腹を押さえてしゃがみこむ。亜矢子ちゃんは慌ててその隣にしゃがみこんで、体調を気遣っていた。
宮田さんはそんな彼らを尻目に地面にばら撒かれた百合の中に落ちている焔薙を拾い上げると、それを私によこしてくる。呆然としつつも、それを受け取った。
驚きで上手く頭が働かない私だったが、それも手を引っ張られたことにより正気に戻る。そして、踵を返して歩き出そうとしている宮田さんの手を逆に引っ張った。
「ちょ、ちょっと何してるんですか! それに二人をここに置いていくつもりですか!?」
「淳様がさっさと渡さないからいけないんですよ。それに、連れて行く必要はないんですよね」
「……必要はないですけど。でも! 置いて行くことなんて出来ません。早く戻りたいなら一人で帰ってください! 私は彼らも連れて戻ります!」
さっきは真っ先に亜矢子ちゃんを助けるべく行動したくせに、今度は手のひらを返したように冷たくなった宮田さんに少しだけ怒りを覚える。最初は襲われているのが亜矢子ちゃんだと知らなかったから助けたのかもしれないが、それでも置いていくなんてあんまりだと思った。
ここは絶対に譲らないとそう強く思って、それを宮田さんからの視線をしっかりと受け止めることで表してみる。意外なことに、宮田さんはあっさりと折れてくれ、しかし「私は何も手伝いませんよ」とそれだけを言って、そっぽを向いてしまう。ただでさえ機嫌が悪そうだったのに、更にそれを悪化させてしまっただろうなと思いつつも、彼らを置いていくことなんて出来ないので、私は礼を言うと淳君達の元へ近寄った。
「……何よ」
「ここにいても危険だから、ひとまず他にも人がいる場所に行こう」
「淳を置いていけないわ」
「もちろん淳君も。私達の肩を貸せば、何とか歩けるかな?」
淳君は心底痛いのから、首をわずかに上下させるだけだった。それに申し訳なさを非常に感じたが過ぎたことはどうにもならないので、私は淳君の左手をとるとそれを肩に回す。亜矢子ちゃんにも同じようにするよう頼み、それから立ち上がった。
今までその様子を無表情で眺めていた宮田さんだったが、私達が歩き出そうとすると徐にこちらに近づいてきた。
「どうしたんですか?」
「……私が代わりますよ」
「……へ?」
これは一体どういうことなのだろう。あの宮田さんがこんなことを言うなんて信じられない。驚きで目を見張ったのは、私だけではなく亜矢子ちゃんや淳君も同じだった。
そんな私達を何を考えているのか全く分からない無表情で宮田さんは眺めている。私は少しだけ考えて、それから口を開いた。
「えっと、せっかくですが結構ですよ」
「何故ですか?」
「あそこに着くまで屍人を倒してほしいんです。私では、さすがに3人も守りながら闘うことはできないので……」
無表情が一転眉間に皺を寄せたいつもの表情に戻った彼だったが、少しの間考えそれから何も言わずに背を向けて歩き出す。これは私の言ったことに納得してくれたということなのだろうか。私達は慌てて宮田さんの後を追った。
八尾さんたちが儀式の準備をしている場所に着くまでに出てきた屍人は、皆目も背けたくなるようなことを宮田さんにされていたのは彼の機嫌が全く良くないことを如実に語っていて、私達は震え上がった。