「あー、もしかして、お邪魔だったのかな?」


どうあがいても、こんな異常な世界でそういう場面になれるわけがない。しかも、アブノーマルな状況に、だ。
私はすぐに飛び起きると、今にもこの場から去ってしまいそうな三人を引き止める。


「違う! 私は断じてそんな趣味じゃないっ!」

「で、ですが、八尾さんと……その…………」

「はい、そこ! 顔を赤らめないっ! 私は至って正常ですからね。勘違いしないでください!」

「では、先ほどの光景は私達の目が変になったということですか」


空気がどんどんギャグ調のものへと変化してきている気がする。ここが屍人がうじゃうじゃいる場所ではなかったらこんな雰囲気もいいかもしれないが、生憎状況はそんなにいいとは言えないのだ。
それなのに、この人達と来たら全く緊迫感がない。いや、私も彼らと同じなのかもしれないけれど。
須田君は依然として苦笑のまま、牧野さんは頬を赤らめて一体何を想像しているのか。宮田さんはというと、物凄く楽しそうに人の悪い笑みを浮かべている。絶対に私で遊んでいる……!


「ええ、本当に全く邪魔されたわ」

「えぇっ!?」


後ろから、笑いを含んだ声が聞こえて、尚且つその言葉が信じられないようなものだったので、私は驚いて振り返る。
そこには当然の如く八尾さんが立っていた。彼女の顔には宮田さんとまったく変わらないそれが浮かんでいた。悪ノリして私を弄ぶ気だと瞬時に私は理解し、彼らを喜ばすまいとしてそっぽを向いていじけてみせる。


「ごめんごめん。だって、さんの反応が面白くってさ」


そんな私を須田君がすぐに慰めてくれる。宮田さんと八尾さんは心なしか残念そうに見え、私は少しだけ喜んだ。一方、牧野さんはというと状況を理解していないのかぽかんと間抜けな表情を浮かべている。もしかして、本当に私と八尾さんがそういう関係だとでも思ったのだろうか。彼は見るからに恋愛ごとに疎そうだったが、まさかそこまでとは思わなかった。
私が機嫌を直したのを察すると、須田君はすぐに美耶子ちゃんのところへ向かう。むしろ、どうして真っ先にそうしなかったのか気になったが、彼は彼なりに空気を読んだのだろうか。
それはともかく、私は美耶子ちゃんを抱きかかえるようにして様子を調べている須田君を眺めている八尾さんの顔をうかがう。美耶子ちゃんが既に実としての役割を果たせないことを話はしたが、それでも彼らに危害を加えない可能性はない。そう思って八尾さんを見張っていると、その視線に気づいたのか八尾さんは不意にこちらを向いた。


「私が彼らに何かするかも、と?」

「……その可能性はゼロじゃありませんから」

「ねぇ、さっきは邪魔が入ったけど、私に何て言おうとしたの?」

「私のことを信じてください。私が何とかしてみせます。だから、儀式なんて止めてください、と」


あのときのようにまっすぐと八尾さんの瞳を見て、先ほどの言葉の続きを言う。八尾さんは目を細めて私を見ている。ほんの少しの静寂が私達の間を通り抜けたが、それもすぐに八尾さんの笑い声によってなくなった。


「やっぱり貴女はあの人に似ているわ。……もしかしたら、あの人なのかもしれない」

「あの人、とは?」


私の問いに八尾さんは答えず、楽しげな笑い声を漏らし続けた。それは不気味なものではなくて、むしろ見ていて晴れ晴れとするようなものだった。まるで、少女のようなその笑い声もやがては静まりかえる。
八尾さんは真面目な顔つきに戻ると、私のことを見ながら言った。


「貴女を信じてみましょうか。貴女はあの人に似ているから、もしかしたら私を救ってくれるかもしれない」


八尾さんの言う「あの人」が誰を指すのかは分からないが、それを聞いても彼女は多分明確な答えをくれないだろう。だから、私はその疑問をなかったことにして、純粋な喜びで胸をいっぱいにした。八尾さんはにこやかに私に笑いかけてから、美耶子ちゃんに近づいていく。須田君はそれを見ていたが、別段警戒した風もなかった。
八尾さんは美耶子ちゃんの額に手を当てると、二言三言何かを呟いた。そして、その次の時には美耶子ちゃんの目蓋がゆっくりと持ち上がっていくのがわかった。


「美耶子!」


須田君が満面の笑みを浮かべると、美耶子ちゃんの小さな体を抱きしめた。美耶子ちゃんはというと、突然の出来事に驚いて目を見開き、それでも抵抗をすることなく須田君に抱かれていた。心なしかその頬が赤く見えて、私の頬が緩んでいくのがわかった。


「相変わらず気持ち悪い顔ですね」

「微笑ましいじゃないですか」


宮田さんの相変わらずの嫌味も、須田君と美耶子ちゃんを見ていれば気にならなくなる。……正直に言えば、少し傷ついたけれど。
いつのまにやってきたのやら、気づいたら隣に立っていた宮田さんと一緒に、再会を喜びあっている須田君と美耶子ちゃん、牧野さんと八尾さんを見ていた。須田君達も微笑ましいが、瞳に涙を浮かべて八尾さんに抱きついている牧野さんも微笑ましい。ここまでくれば、もう立派な八尾コンだ。


「正に感動の再会ってやつですね」


ちょっとだけ羨ましい気持ちもあったが、それはため息とともに外に吐き出されていく。思わず私も涙ぐんでしまいそうになったが、すぐ傍に宮田さんがいる手前そんなことも出来ない。
それにしても、距離が近すぎやしないか。そう思った刹那、視界が彼の着ているワイシャツの青でいっぱいになる。一瞬固まってしまったが、どうしてそうなったのかすぐに理解し、私は視線を斜め上に上げる。そこには案の定、先ほどよりもずっと悪い微笑を浮かべた宮田さんの顔があった。


「な、何するんですか!?」

「貴女も彼らみたいにしたそうに見えましたので」

「確かに少し羨ましかったですけど……だからって、どうして急にこんなこと……!」

「嫌でしたか?」


可愛らしく小首を傾げて、かつ少しだけ眉尻を下げて見せた宮田さんに、反抗心で似合わないと言ってやろうと思ったが、それでも確かに可愛いのは否定できなかった。無駄に色気が漂っている気がする。27歳の、しかも男が可愛いってどういうことだ。下手したら彼よりも若い私より可愛いかもしれない。そういえば、牧野さんも無駄に可愛いし。さすがは双子だ!
驚きで頭のねじが吹っ飛んだらしく、私の思考はどんどん飛躍していく。現実逃避には丁度良く、私はこの出来事を幻覚か夢だと思い込もうとした。そうしなければ、私の脳は沸騰して使い物にならなくなってしまう。
しかし、宮田さんは私の都合なんてお構い無しに抱きしめる腕に力を込めて、あろうことか私にもたれかかるようにして右肩に頭を乗せてくる。
私は体を石のように硬直させ、息をすることすら忘れそうになった。そのくせ、両手は汗が噴出してくるし、顔はまるで真夏になったかのように暑い。それもオーストラリア辺りの夏よりも暑い気がする。
もうこうなってしまったら、誰かが何か行動を起こしてくれるまで私は何も出来ないだろう。全ての感覚器官が宮田さんのことしか捉えられないかのように、その他のことが全く頭に入ってこなかった。


「……心配しました」


すぐに掻き消されそうなほどに小さなその声に、私は右肩から全身に何かが広がっていくような気がする。宮田さんの額が当たっている部分が、妙にむず痒い。
私は色々と言いたいことがあったのだが、それが上手く言葉に出来ず、結局は宮田さんと同じくらい小さな声で謝罪をする。
宮田さんは更に腕に力を込めて、そしてゆっくりと伏せていた顔を上げる。今度こそ本当に呼吸を止めて、宮田さんの顔を見つめる。
宮田さんは最初こそ無表情とはいえないが、何の感情も読み取れない顔で私を見ていたが、不意に眉間に皺を寄せると視線を顔ごと横に逸らし、ため息をついた。


「な、何だって言うんですか……!」

「別に何も言ってないでしょう……あぁ、それと忠告しておきますが、そんな顔を私の前でしないほうがいいですよ」


そんな顔はどんな顔なのかとかどうしてしない方がいいのかという私の疑問は、徐に近くなってきた宮田さんの顔によって封殺されてしまう。
いや、まさか、そんな。否定の言葉が頭の中を駆け巡ったが、行動で否定を表すことは出来なかった。
時間が気を利かせたつもりなのかゆっくりと過ぎていっているような気がする。もしかしたら、宮田さんが目に見えて慌てているであろう私を見て楽しんでいるのかもしれないが、彼の表情からは何も読み取れない。これも私が慌てているからだろう。


「な、何をやっているんですかっ!」


突然聞こえてきた声に私はようやく我を取り戻し、宮田さんの体を押しのける。すんなりと出来て安心したのだが、すぐに聞こえてきた舌打ちらしきものに私の背中によくない汗が流れ出す。
先ほどうっかり間違ってしまいそうになった私を叱咤していると、不意に後ろから手を引かれた。その手の持ち主を見てみれば、先ほどよりも顔を赤らめた牧野さんがいた。彼にしては鋭い目つきで宮田さんを睨みつけているが、宮田さんは牧野さんよりも恐ろしい雰囲気を纏わせて牧野さんを無表情に見据えている。


「何って見れば分かるでしょう」

さんが嫌がっていたじゃないですか!」

「どこをどう見たら、そういう結論になるんですか? 彼女は別に抵抗しませんでしたよ」

「そんなことありませんでしたよ! ねぇ、さん?」


出来れば巻き込まないで欲しいという願いはあっさり却下され、私はこちらを見てくる二人と視線を合わせないようにしながら、意味の無い言葉を時間稼ぎに漏らす。
ここで牧野さんの言葉を肯定しようものなら、私は宮田さんにネイルハンマーで撲殺されるかもしれない。それほどまでに凄い圧力がお医者様の方から漂ってきている。かといって、否定したら今度は求導師様がぶっ倒れてしまいかねない。他にも理由があるのだが、それは自分の中から追い出し、私は牧野さんのためとそう暗示をかけて、首をゆっくりと縦に振る。
その瞬間の宮田さんの表情といったら、凄まじいものだった。こんなのが医者だったら、私は絶対その病院に行きたくない。むしろ、行った方が悪化しそうだった。