結局は、誰が宇理炎を使うのかは決めておかないで、ひとまずは大事な存在である美耶子ちゃんと須田君を助けに行こうということで話はまとまった。
彼らを迎えに行くのは事情を把握している私と、この村の地形を把握し尚且つ体力のある宮田さんということになった。そして、志村さんと竹内さんは宇理炎を先代美耶子様から預かってくることにもなった。
残った牧野さんは他の人たちを守ってもらうことにする。こういうのも何だが、牧野さんは武器を扱えないので連れて行くと足手まといになる可能性が大きいのだ。攻撃をしない彼が皆を守れるのかは些か不安だが、案外依子さん辺りが屍人をやっつけていそうなので、その点は心配しないことにした。しかし、念には念をということで、診察室の扉に屍人を通さぬようお願いをしておくことは忘れなかった。
「さん行きますよ」
「あ、ちょっと待ってください」
既にお互い準備は終わっており、時間も時間ということで宮田さんが声をかけてきたが、私は少しだけああ言ってから、志村さんに駆け寄った。
そんな私を志村さんとその隣に立つ竹内さんが不思議そうな顔で見ている。
直視されてこれから話すことを躊躇ってしまったが私は決心していたのだ。これを彼に話すことで何かが変わるかもしれないし変わらないかもしれない。たとえ、変わったとしてもそれはいい方にとは限らない。それでも、私は志村さんに伝えたいことがあった。
「志村さん。今までずっと黙ってたんですけど」
そこで一旦言葉が途切れてしまった。
決心したとはいえ、私がこれを話すことによって志村さんになんらかの影響を与えてしまうかもしれないのが怖い。
明らかに挙動不審になっているであろう私を、志村さんは温かい眼差しで見守っていてくれた。それを見て、私はようやく続く言葉を発することが出来た。
「志村さんの息子さんが、志村晃一さんが、この病院に地下にいるんです」
私の言葉を聞いて固まってしまった志村さんだったが、すぐに我を取り戻して、私に晃一さんについて尋ねてくる。
それに私は一つ一つ出来るだけ丁寧に教える。志村さんにこの話をすることで、古傷を抉ってしまうかもしれないと思って躊躇していたが、この様子ではそうでもないらしい。といっても、志村さんは感情を隠すのが上手そうなので、確信を持って断言は出来ないが。
「あの、えっと……私が言いたいことはこれだけです! もしも、嫌な思いをさせていたらごめんなさい!」
そう言うが早いが、彼らに背を向けて宮田さんのほうに走り出す。
そんな私の後ろから声がかかった。
「嫌な思いなんかするもんか。教えてくれてありがとうな……。無事に帰ってくるんだぞ」
「……っはい! 志村さんも怪我しないでくださいね! あ、もちろん多聞さんも!」
「俺はおまけかよ」
志村さんが初めて名前を呼んでくれたことが嬉しくて、頬がゆるむのを止められない。
私は私に出来るだけのとびっきりの笑顔で、彼らを見送った。
もしも私にお爺ちゃんというものがいたのなら、その人はまるで志村さんのような人なのかもしれない。むしろ、志村さんがお爺ちゃんであってほしい。そう志村さんに言ったら、彼はどんな反応を返してくれるだろうか。
そんな想像をしていたら、不意に宮田さんに腕を引かれた。
突然だったが、別段強い力で引っ張られたわけではないので体制を崩すことなく、宮田さんについていくことが出来た。
「……さっさと行きますよ」
「時間を取らせてしまってすいませんでした」
「それに、先ほどの表情気持ち悪かったですよ」
宮田さんの相変わらず凹凸の無い声色で言われて、思わず頬に空いている手を当てる。そんなに変な表情をしていたのだろうか。
どうしてこんなにも気持ちが沈むのか自分でもよくわからないほどに落ち込んでいく。
そんな雰囲気を呼んで空気を換えようと思ったのか、好奇心からなのかは分からないが、宮田さんが別の話をよこしてきた。
「どうしてあんなに気持ち悪い表情をしていたんですか?」
「お爺ちゃんがいたらあんな感じなのかなぁって思ってたんです」
また気持ち悪いと言われたことにショックを感じながらも、宮田さんの質問に答える。
その答えに宮田さんはわずかに首を傾げた。どうしてそうしたのか考えたのは一瞬で、すぐに彼の不思議に思っているであろうことに対する答えを言う。
「私、お爺ちゃんとかお婆ちゃんとかに会ったことないんです」
「失礼ですが、もうお亡くなりに?」
「いえ、多分生きているんでしょうけど……会ってくれないというか会わせてもらえないというか」
平静を装って言おうとしたのだが、自分でもわかるほどに歯切れが悪い。きっと、宮田さんならすぐに気づくだろう。
暫くはお互い無言で歩き続ける。
私はというと、沈黙が無性に辛くて気を紛らわせるために視線を彷徨わせていた。そして、私はある一点を思わず凝視してしまう。
それは、私の腕とそれを掴む宮田さんの手だった。思い返せば、先ほどからずっとこうして手を握っているような気がする。いや、これを握っているというのかは分からないが。
言い知れぬ恥ずかしさに襲われて、私は内心でパニックに陥っていた。
志村さんが撫でてくれた頭は温かく感じたが、宮田さんの握っている腕は温かいを通り越して熱く思える。ついでに言うと、頭も熱くなってきた。
しかし、ここで手を振り払えば宮田さんに不振がられるだろうからそんなことは出来ない。かといって、さりげなく腕を離すような芸当をこの私が出来るわけがない。
思考回路が熱でショートしかけたとき、宮田さんが話しかけてきてくれた。
「さん、ご家族との仲は……?」
その言葉でさっきまで熱くなっていた脳が、凍りついたみたいに動かなくなる。それによって動かしているべきだった足すらも止まってしまった。
宮田さんが振り向いたのがわかり私は何か言わなければいけないと思って、でも何も出てこなくて、結局は口を水槽の中にいる金魚のように開閉させるしかなかった。
「すいませんでした。無理に答えなくても結構ですよ」
「い、え……」
そんな私を見かねたのか、宮田さんがそう言ってくれた。その表情がとても心配そうなものだったので、私は彼の心配を解消させてあげたくて何とか言葉を発したが、それは短くしかも自分ですら聞いていて苦しくなるようなものだった。
首を何かで絞められているような、そんな錯覚に陥り呼吸が上手くできない。私の首に何も巻きついてなどいないと頭では分かるのだが、酸素を求めようとしてどんどん息が荒くなっていく。
頭がふらついて立っていることすら難しくなってきた。しかし、ここで倒れこもうものなら、宮田さんに迷惑をかけてしまう。目を固くつぶって手を握り締める。しかし、握り締めた手がしびれたようになって、力を込めてこの異常事態を何とかすることすら出来なくなってしまった。
胸苦しさも感じ始めて私はしびれる手を胸元に当てて、とうとうその場にしゃがみこむ。体を丸め込んでこの言い知れぬ不安と闘っている私の背中を宮田さんがさすってくれた。
「さん、落ち着いて。ゆっくり息をしてください」
とても苦しくてつらくて涙が思わず溢れ出てくるようなそんな状況下で、宮田さんの落ち着いている声はとても救いになった。
私は、それこそ藁をも掴む思いで宮田さんの言うとおりに呼吸をする。宮田さんが背中を撫でてくれるだけで気持ちが落ち着いてくるように感じた。
そして、すぐに先ほどまでの混乱がまるでなかったかのように、私は元の状態に戻ることが出来た。
「ありがとう、ございました」
「いえ。……もう少し、休んでいきましょうか」
宮田さんの申し出を断ろうとしたのだが、それは彼の有無を言わせぬ気配によって言うことすらできなかった。
私は今だ蹲ったままの格好で、顔を膝の間に埋めた。宮田さんに対する申し訳なさや気恥ずかしさなどでごちゃ混ぜになって、宮田さんの顔を見たくなくなったからだ。それに、今の私の顔はぐちゃぐちゃだろうから、それを彼に見せるのもまた嫌だった。
宮田さんは何も言わずに、ただただずっと私の背中をさすってくれる。それがありがたくて、また涙が出そうになった。
「……本当にもう大丈夫なんで、そろそろ行きましょう」
暫くはその状態に甘えていたのだが、さすがに須田君達がが心配になりそう言って立ち上がった。宮田さんはまだ心配そうな顔で、私の顔色を調べている。
そんな彼に、もう大丈夫だという意味を込めて笑いかけると、宮田さんは息を吐いた。
「わかりました。……ただし、体調に変化があったらすぐに言うように」
そう言って、呆れたように微笑む。
それはとても綺麗な笑みで、また宮田さんが笑うなんて想像できなくて、一瞬その顔を食い入るように見つめてしまった。
出来ればもう一度拝見したいと思ったのだが、宮田さんはすぐに普段どおりの無表情に戻ると、「じゃあ、行きますよ」と言って、私の手を掴んで歩き出した。