宮田医院に着いたのは、朝6時ほどだった。
この世界に来てから、まだ一日も経過していないが、もう大分時間が経ったような気がする。それほどまでに、濃くて圧縮された時を過ごしたのだ。そろそろ体力のほうも限界で、気力で何とかしているような部分もあった。
須田君が撃たれるのは10時ぐらい。だから、それまでにはあの二人を保護しなければならない。しかも、たとえ二人に会えたとしても、その近くには淳君がうろついているかもしれない。ということは、今までのように会えるであろう場所にいる時間まで待っているようなことは出来ないのだ。できれば、9時ぐらいには合流したいところだった。
休めても2時間ほどだろうか。その事実に少しだけ気持ちが落ち込みつつも、しかしやらなければもっと暗い気持ちになるだろうと自分を奮い立たせた。
「あ、あそこですよ」
前を歩く前田夫妻に、皆が休んでいる部屋の場所を教える。
あと10メートルほどの距離しかないし、屍人の気配もない。1秒でも早く会いたいだろうと思いそう教えた。
二人は顔をほころばせると、その扉の前まで駆けていく。それを私は微笑ましい気持ちで眺めた。
「知子っ!」
隆信さんが盛大に扉を開け放った。隣に立つ真由美さんの目は、ここからでも分かるほど潤んでいた。
一瞬だけ、沈黙が訪れる。
しかし、それも赤いジャージ姿の女の子があの二人に抱きつくことで破られた。
知子ちゃんは、隆信さんに抱きついて泣きじゃくっていた。それを、二人が温かく包み込んであげている。
私はこんな場面をゲーム内で見てみたかったのだ。しかし、そんなムービーはなく、むしろそれを盛大に裏切られるようなものであった。
だからこそ、この三人の抱き合う姿が見れて本当に嬉しかった。
でも、少しだけ、ほんの少しだけ、彼女を羨ましく、また妬ましいと思う気持ちが湧き上がってきた。それを私は、必死で気づかない振りをする。こんな風に思っちゃ駄目だと、それらの汚い気持ちを押し込めて、蓋をした。
「……すいませんが、中に入ってくれませんか? ここにいると、危険なので」
宮田さんがそう言って、三人を中へと押し込む。一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにこの状況下の危うさを思い出したのか、侘びを述べると中へと入っていく。私たちもそれに続いた。
そして、すぐに強い衝撃によって、後ろへ倒れそうになる。しかし、足を踏ん張ってそれを回避した。
まさか、二度目もあるとは思っていなかった。
「……依子さん」
「もうすっごく心配したんだよ! 無事でよかったー!」
正直、この疲れきった体で成人女性を支えるのは些か堪える。私の多少引きつった顔を見て察してくれたのか、竹内さんが依子さんを引き剥がしてくれた。そして、またもやお説教タイムに突入する。
相変わらずな二人に苦笑してから、私は今度こそ本格的に休むために誰も使っていないベットに近づく。そして、ぼすんと体をそこに投げ出した。平素なら固いだのなんだの思うようなベットだが、今はどんな寝具よりも極上のものに思えた。
とっとと眠りに落ちたかったのだが、何時ぐらいに起こして欲しいか言っておかないとおけない。誰かにその旨を伝えようと、重たい体を持ち上げた。
「駄目だぞ」
「……まだ何も言ってません」
突然、否定の言葉を投げかけられる。その声の持ち主は志村さんであった。
私のこの些細な行動だけで、何を考えているのかわかったのだろうか。恐るべし。
「一番、重要なことなんですけど……」
「だから、何でお前が行く必要がある」
「私が行きたいからです」
「どうして、そこまで人のために尽くせるんだ?」
本当に心底わからないといった風に、志村さんがそう言った。
私からすれば、どうしてここまで心配してくれるのかが不思議だったのだが、そういう風に感じることは嫌なことではないのでそのことについては言及しなかった。
それよりも、志村さんのその問いになんて答えるかが問題だ。
どういう答え方をすれば、彼は納得してくれるのだろうか。
「確か、自分に出来ることはしておきたいんだったわよね?」
後ろから首に腕が絡みついてくるとともに、そんな声が頭上から聞こえてきた。美浜さんだ。
美浜さんはけらけらと笑いながら、志村さんに話しかけた。
「そりゃあ心配なのは分かるけど、この子の好きにさせたら?」
「無責任なことを言うな」
「ちゃんだって、覚悟はしているわよ」
美浜さんの言葉に、私はここぞとばかりに首肯してみせる。
そんな私を志村さんは睨みつけた。しかし、ここで視線を逸らしては負けだと思い、私はそれを正面から受け止める。
「また、ですか」
硬直していた空気は宮田さんの登場によって、少しだけ溶け出す。かといって、私にとって有利な状況になるかは分からないけれども。
私は宮田さんがどのような顔をしているのかが気になって、その顔をそっとうかがう。
……どうやら、私は絶対的不利に立たされそうだ。
更に、殺伐とした雰囲気に気づいたのか、他の人たちも集まりだす。知子ちゃん一家まで、感動の再会を中断していて、なんだか悪いことをしたような気になった。
「……だって、行かなくちゃ」
「ちなみに、今度は誰を?」
「美耶子ちゃんです」
一応は話を聞こうとしているのだろうか、そんな質問をされたが、顔は不機嫌に歪められていてこれはそう簡単に許可は降りそうにないな、と思った。
周りの皆の表情は険しく、それが心配によるものなのだろうとは思っても、少しだけ怖かった。
再び固まりだした空気だったが、それは多聞さんが口を開いたことによって、回避された。
「ところで、どうしてさんはそんなことを知っているんだ? 君が何か知っているのなら、一人で背負い込むことはない。話してくれれば、何かいい案が浮かぶかもしれない」
多聞さんの言葉に思わず眉間に皺を寄せる。別にその質問が不快だったとかそういうわけではなく、なんと返せばいいのかわからず、また彼らには危険な橋を渡ってほしくないという気持ちからだったからだ。
話すべきか否か迷っていると、そんな私を差し置いて宮田さんが話し出した。
「さんは、私たちとは別の世界から来たそうです。そして、そこではこの異変がゲームとして知られている。彼女も、そのゲームで私たちのことを知ったようです」
「その割には、私に会ったときは初対面のような感じだったけど?」
「あー、それは説明が面倒だったので、そういう風に振舞っていたんです」
宮田さんが勝手に説明したことに顔が引きつるのを感じながらも、私はそのことについては諦めて依子の疑問に答える。
もうどうにでもなれと半ば自暴自棄になりながらも、次はどんな質問が来るのだろうかと身構える。
宮田さんと牧野さんにこの話をしたときは、結末については何も聞かれなかった。しかし、これだけ人数がいるのだ。誰かがきっと聞いてくるだろう。
「そのゲームでは最期はどうなるんだ?」
さすがは多聞さん! 誰よりも、真っ先にその疑問に突き当たり、早速尋ねてくださいました!
挙動不審に視線をきょろきょろと彷徨わせながら、なんと答えるべきか考える。そんな私の様子から何かを察したのか、多聞さんは険しい顔つきでこちらに一歩近づいた。
「俺についてだけでもいい。たとえ、どんなことになっていようとも構わない。むしろ、知っていたほうが回避できるかもしれない。……教えてくれ」
多聞さんの気迫に押されて、私は恐る恐る口を開いた。引きそうに無い多聞さんを見て、私は覚悟を決めて空気を吸った。
「多聞さんは、人間にも屍人にもなれずに、この世界を永遠に彷徨うことになりました」
「……どうしてだ?」
「赤い水を体内に入れる屍人となり不老不死になります。神代の血を体内に入れると屍人化が防げるんです。多聞さんは中途半端にその両方を体に入れてしまったために、人間とも屍人ともいえない存在になってしまったんです」
その言葉に一番ショックを受けたようなのは、依子さんだった。多聞さんは冷静にその事実を受け止めているように見えたが、それでもその胸中は複雑なものだろう。
話してしまったことを後悔して、思わず俯いてしまう。私を今だ抱きしめたままだった美浜さんが、腕に少しだけ力を込めた。
「じゃあ、私は?」
「……永遠の若さを求めて…………犬屍人になりました」
「あっちゃー、それは嫌だね。止めてくれてありがとね」
美浜さんの軽い話し方に釣られて喋ってしまったが、彼女は大してその事実について衝撃を受けたようではなかった。私のあの必死の止め方から、何かを察したのだろうか。
「全体的な結末としてはどうなるんですか?」
冷静な、あるいは冷たいとも取れる声色で宮田さんが尋ねてくる。宮田さんからの問いかけに、私は一瞬言葉につまった。
私は嘘をつくのが苦手だ。しかも、すぐに態度に表れるときている。きっと直接的な表現を避けても、何人かには自分の結末が分かってしまうかもしれない。
皆の最期を知っているだけに、何も言いたくなかった。
ひたすら貝のように口を閉ざしている私に痺れを切らしたのか、宮田さんは盛大にため息を吐いた。
「私にぐらいは教えてください。そうしないと、対策の立てようもない」
そして、私の腕を掴んで有無を言わさず廊下へと連れ出す。私たちの後を、志村さんと多聞さんと牧野さんが付いて来るのがわかった。依子さんも来ようとしたのだが、多聞さんに追い返されていた。