さんっ!」


私と宮田さんが、待っていてくれた牧野さん達の元へと戻ってくると、牧野さんが涙ぐみながら私に抱きついてきた。
さすがに大の男が飛び掛ってくれば、受け止めきれないのも仕方がないだろう。それでも、何とか後ろによろめくだけで、転ぶことはなかった。
そういえば、牧野さんが背負っていたはずの美浜さんはどこにいるのだろうと彼女を探してみれば、美浜さんは前田夫妻さんの少し後ろで腕組みをして苛立たしげにこちらを見ていた。
美浜さんに体調を尋ねたかったが、私を抱きしめて肩に顔を埋めている牧野さんをほっとくことも出来ず、彼の背中をぽんぽんと叩く。


「ご心配をお掛けしてしまって、申し訳ありません」

「いえ、いいんです。無事だったんですから」


鼻声で話す牧野さんが可愛らしく思えて、思わず苦笑が浮かぶ。彼の背中を撫でていると、急にその温もりがなくなった。
何事かと思って見てみれば、宮田さんが牧野さんの襟首を掴んで私から引き離していた。


「大の男が何をしているんですか。みっともない。さっさと行きますよ」


何か言いたげな牧野さんを黙殺して、宮田さんは歩き去る。
それを見て、私と牧野さんはお互い苦笑し合って、彼らの元へと戻った。
やはり、先頭は宮田さんでその次に続く人の順番も同じであった。ただ一つ、変わったことはといえば、牧野さんに背負われていた美浜さんが自力で歩いているという点のみだ。
私は彼女に近づいて、先ほどは聞けなかったことを尋ねることにする。


「あの、お体のほうは大丈夫ですか?」

「お陰さまで、頭が痛くて仕方ないわよ」

「すいません……」


宮田さんのせいなのだが、思わず私が謝ってしまう。
美浜さんは不満げに唇を曲げ前を見据えてただ黙々と歩いている。私はというと、何か提供できる話題がないかと色々と考えていた。
そんな私たちを、すぐ前を歩く牧野さんが心配げにちらちらと見てきたが、美浜さんの「何見てんのよ」という台詞によって、しょんぼりと肩を落とし前を向いて歩く。
落ち込んでいるであろう彼に同情しながらも、私は美浜さんに今だ解決していない問題を挙げてみることにした。


「……まだ、永遠の若さを手に入れたいんですか?」

「当たり前じゃない。あの赤い水に浸かるだけで手に入るのよ? 女だったら、誰だってそうしたいと思うわ」

「でも、貴女だって赤い水に侵された人間がどのようになるか見てきたでしょう?」

「あら、永遠に生きる女だっているのよ」

「それは彼女だけです。直接、呪いを受けた人物ですから」

「だったら、私もその呪いを受ければいいのね」


美浜さんの美に関する執着心はすさまじいものだった。
私が何を言っても聞く耳を持たず、むしろ益々に永遠の若さに興味を持ったようだった。


「永遠の若さを手に入れるということは、永遠に苦しむことになりますよ。後悔先に立たずと、昔の人だって言いましたしね」

「どうして、変わらない若さを手に入れるのに苦しむの?」


相変わらずの答えを返してくる美浜さんに、私は彼女の末路を教えてあげたくなった。
犬屍人になった自分を見たら、彼女は一体どんな反応をしてくれるのだろうか。
そんな意地悪な想像をしてしまった自分に嫌悪感を感じ、私は人知れず顔を顰める。
本当に、どうやったら美浜さんを説得させることが出来るのだろうか……。
思わず頭を抱えこんで蹲りたい衝動に駆られたが、そんなことを出来るはずもなく、私は美浜さんに返す言葉が思いつかず黙々と歩く。
そんな私に、美浜さんは初めて視線をよこした。といっても、すぐに前を向いたが。


「……どうして、そこまで私に構うのよ」

「どうして、って……」


突然、そんなことを聞かれて、答えに窮してしまう。
私はただSIRENの世界のハッピーエンドが見たかったのだ。その世界では、美浜さんにも幸せになって欲しい。
たとえ、彼女にとっての幸せが永遠の若さを手に入れることなのだとしても、それは勘違いであったといつか気づいてくれると信じている。
しかし、そんなことを面と向かって言えば、引かれることは想像に難くない。


「……私に出来ることはしておきたいんです。後悔はしたくないんです」


こういう曖昧な答え方だと、きっと脳内補間してそれなりな答えに仕上げてくれるだろう。
そう思って、当たり障りのないことを答えておく。
美浜さんは私の答えに対して反応は返さず、再び無言の時が流れ出す。
はたして美浜さんが納得してくれたのかどうかわからないが、それでも言いたいことは言っておこうと思って、口を開く。


「一つ、お願いがあります。もしも、どうしても永遠の若さが欲しいのなら、全てが終わってからにしてください」

「全てって?」

「私が全部終わらせます。この村にかかっている呪いを解きます」

「何でそれまで待たなきゃいけないのよ」

「……私の自己満足のためですよ」


私はこの村の呪いを解き、生き残った人を元の世界に戻そうと思っている。
その方法はわからないが、私にはあの不思議な能力がある。それを使えば何とかなるのではないかと思っていた。
それこそ、この命を捧げてでも皆を救うつもりだった。
他人のために何故そこまで尽くすのだろうと、美浜さんは思うかもしれない。
でも、人は自分を認めてくれた相手にだったら、何だって出来るのだ。それも、初めて私を受け入れてくれた人になら、その思いは尚更強まる。
私が元々いた世界では、私はまるでいないかのように扱われるか、たとえ違ったとしても気味悪がれていた。
寂しくつらくはあってもそれが私にとっての日常だった。
しかし、この世界に来てからいろんな人が私を認めて、心配してくれる。
それがただただ嬉しくて、そんな人たちを守るためだったら何でも出来るような気がするのだ。
そして、私は多分そんな自分に酔っている節もあるのだと思う。
でも、たとえエゴだろうがなんだろうが、私は皆を守る。そう強く誓ったのだ。神なんて不確かなものじゃなくて、自分自身に。


「自己満足ってどういうことよ」

「多分、したいことを全て終わらせたら、私は……ここにいないと思うんです」


前を歩く牧野さんに聞こえないように、そう小声で話す。
彼に聞こえようものなら心配されて、色々と問い詰められるだろう。でも、美浜さんならそんなことをしないだろう。彼女は良い意味でも悪い意味でも自分のことしか考えていなさそうだから。
それでも、私の漠然とした予感を話すのは少しだけ勇気が必要だった。話すことで尚更想像が現実に近づきそうだったからだ。
堕辰子と戦うことになったのなら、宇理炎は絶対に必要だろう。宇理炎は、使用者の命を糧として力を発揮する。だから、それを使えば私は死んでしまうだろう。
また、たとえ宇理炎に頼らないで、私の能力だけで何とかしようとしても、ただ願うだけでは決して叶うことはないだろう。願うだけで叶うのなら、既にそうしている。
私の能力は、何かを犠牲にすることでその威力を上げることができる。そして、私が払える代償として、一番価値があるであろうものは私自身の命なのだ。
どちらにしろ、全てが終わったそこには私の姿はないだろう。
他にいい妙案が思い浮かばない私は、そうしようと思っていた。むろん、誰にも言わずすべきことをするつもりでもある。


「ふーん。だから、その後のことはどうでもいいってわけ?」

「いえ、そういうつもりでは。でも、やっぱり私は正しいことをしたって思って逝きたいんです。じゃないと、何のためにそうしたのかわからなくなってしまいますから」


本当に、私の行動の全ては自己満足のものなのだ。
相手のことを思いやっているようで、自分のことしか見えていない。
その事実を自分で思い出し、自嘲的な笑みを浮かべる。


「正に自己満足ね」

「……言わないでください。私も、わかっているんです。でも、それしか思いつかないから」

「ねぇ、貴女――名前なんていったけ?」

です」

「私は美浜奈保子よ。……でさぁ、ちゃんってこの世に自己満足以外の理由で何かしている人って知ってる?」


そういえばまだ自己紹介をしていなかったな、そう思いながらも、美浜さんからの質問の答えを探す。
ありきたりなものしか思い浮かばなかったが、彼女が言おうとしているのはそんなことではないだろう。


「この世の中で、一番大切なのは自分自身よ。だから、全ての人は自分を満足させるために何かをしているわ」


美浜さんが何を言おうとしているのかわからず、私は口を挟むことなく彼女の言葉に耳を傾ける。
彼女は今だ、前をしっかりと見据えたまま話していた。


「人間は誰しも自己中心的よ。ただ違うのは……自己満足とはいえ、他人を助けるか否かだけ。私は完全に後者だわ」

「……自覚あったんですか」


思わず出てしまった本音は、しっかりと美浜さんの耳に届いてしまったようで、彼女はじろりとこちらを見据えたが、それでも話し続けた。


「他人のために生きる人の中には、そんな自分に酔っている人と、酔っていることを自覚して尚も献身的に尽くす人がいるわ。貴女の場合は後者ね。前者の奴は私みたいのなんかよりも、よっぽど性質が悪いわ。そして、後者の……ちゃんみたいのは救いようの馬鹿ね」

「……すいません」

「でも、人って大抵は馬鹿なやつのほうが好きなのよ。……あんたもでしょう?」


美浜さんは意地の悪い笑みを浮かべて、牧野さんの背中をつつく。彼はびくりと背中を震わすと、慌てたようにこちらを振り向く。
……もしかしてもしかしなくても聞こえてた?
そう思って、口が引きつるのを感じる。牧野さんの表情を見る限り、私の想像は当たっているようだ。


「すすすいません! あの、聞くつもりはなかったのですが!」

「そんなことはどうでもいいのよ。で、あんたはどう思うの?」

「どう思うって……?」

「あんたもちゃんは好きでしょう?」

「……な、なな何言ってるんですか。そそそんなことは!」


牧野さんは暗闇でもしっかりと分かるほど顔を真っ赤にしていた。そして、とうとう耐え切れなくなったのか早足で歩き出して、前田夫妻を抜いていってしまう。
私は、そんな牧野さんの行動だとか、美浜さんの発言だとかで、頭がごちゃごちゃして中々整理が出来なかった。
呆然と牧野さんの背中を見つめる私の腕を、美浜さんはつんつんとつつく。
そうして、酷く楽しそうな笑顔を浮かべて笑った。


「あいつ、からかい甲斐があるわね。あ、もちろん私はちゃんのこと好きよ」


美浜さんの言葉に、今度は私の顔が熱くなる。そんな私を見て、美浜さんは更に笑みを深くした。
私は礼を一言呟いて、それからは俯いて黙ってしまう。


ちゃんも楽しいわねー。……そうそう、しょうがないから貴女の頼み、聞いてあげるわ」

「え? それって……」

「若さはもっと違う方法で追い求める、って言ってんのよ」


恥ずかしさとかそんなことを忘れて、私は美浜さんの顔を食い入るように見つめた。
美浜さんは先ほどよりも優しい笑みを浮かべて私の背中をばんと力強く叩く。
それが更に先ほどの言葉に現実味を持たせてくれて、私も嬉しくなって美浜さんに笑いかける。


「考え直してくださって、ありがとうございます!」

「別にいいわよ」


私は、ようやく美浜さんが納得してくれたことに舞い上がって、今までの疲れがなくなっていくように感じられた。
屍人化しないと言ってくれた彼女が傷つくことが無い様守るため、私は手に持った鉄パイプを握る力を強めた。