「そんなに行きたがってるんだから行かせればいいじゃないですか」
「おい、そんな無責任なこと言うなよ」
「心配だったら付いて行けばいい」
「そういう意味じゃないですよ! ちゃんが疲れているから、行かないほうがいいって言ってるんです!」
「そう言っても、彼女は意思を曲げる気はないみたいですよ」
唐突に、宮田さんの冷めた声が言い争いに割り込んできた。
そして、気がついたら、宮田さん対竹内さんと依子さんの言い争いになっていた。
依子さんは私の体を宮田さんのほうに向けて顔を指差し、どれだけ私が疲れているか力説している。
宮田さんは二人に気圧されることもなく、気だるげな態度で二人を適当にあしらっていた。
「彼女が死のうが何しようが、私には関係ないんです。騒ぐんなら、他所でやってください」
どうやら宮田さんは私を行かせようと色々言ってくれたわけではなく、単純に煩かっただけのようだった。
わかっていたことだけれども、少しだけ傷つく。
以前はこういう扱いを受けても傷つくことなんてなかった。しかし、この世界に来てからは私の中の何かが溶けていくようだった。だから、こんなにも脆くなってしまったのだろう。
「この冷血漢! 鬼! 悪魔!」
「……本当にうざったいですね」
「女の子にそんな言い方しなくっても! もっと常識というものを学んだらいかがですか?」
「貴女はもう少し空気を読めるようになったほうがいいですよ」
なんだか言い争いのレベルがどんどん下がっていく。
依子さんと宮田さんは、既に本題をそれてお互いの悪口を言い合っているだけになっている。
竹内さんは、戦線離脱してそれを見守る体制に入ってしまった。
志村さんや高遠さんも毒気を抜かれたのか、疲れたような顔をして彼らを眺めている。
一方私はというと、さっさと依子さんに解放して欲しかった。
今だ私は後ろから依子さんに羽交い絞めにされるような格好で、宮田さんと向かい合っている。
後ろからは色々と暴言が聞こえてくるし、前からは射抜くような鋭い視線で睨みつけられる。宮田さんは依子さんを睨んでいるのだろうけれど、私を睨んでいるように思えて仕方がない。
「本当に冷たいやつね! もっと、まき」
逃げ出すことも会話のドッチボールに入ることも諦めた私は、さっさとこの会話を終わらせて欲しいと思っていた。
半ば脱力して話を聞いていた私は、依子さんが言おうとしているであろう言葉に慌てて我に返り、依子さんの口を塞いだ。
多分、きっと、いや絶対、彼女は今牧野さんを話題に引っ張り出そうとしていた。
牧野さんを見習え、とか何とかそのような意味のことを言うつもりだったのだろう。
しかし、その言葉は下手をすると宮田さんのトラウマに触れることになる。
そうしたら、宮田さんは言葉の暴力ではなく、そのままの意味の暴力を彼女に振るうかもしれない。
なにやらふがふがと言っている依子さんを無視して、恐る恐る宮田さんを見る。
彼は憮然とした表情で、今度はしっかりと私を睨みつけていた。
これは、志村さん以上だ。屍人を相手にするとき以上の恐怖だ。思わず、小さく息を呑む。
「……ぷはぁ! いきなり何するのよ、ちゃん!」
宮田さんから視線を逸らすことも出来ず硬直していた私を、依子さんの空気を読まない発言が解放してくれる。
私は知らず知らずのうちに、押さえていた手に力を込めてしまっていたようで、呼吸がしづらかったようだ。
「ご、ごめん……」
「悪いと思ってるなら、行かないでよね!」
「え!? それは無理だって!」
依子さんは再び私の体を彼女のほうに向けると、私の鼻先に指を突きつけてそう高らかに要求する。後ろでは、竹内さんがそんな行動を咎めているが、彼女は聞く耳なんか持っていない。
依子さんはひたすらに私に行くな、とか何とか言ってくる。果たして、彼女は疲れるということがあるのだろうか。
なすすべもなく笑うしかない私だったが、それでも行くという気持ちは変わっていなかった。
強情な私を見て、依子さんは大きくため息をつく。正直、私もそれをしたいのだが。
依子さんをどうやって説得しようか考えていると、ふいに襟をぐいと捕まれて引っ張られた。とっさに、右足を後ろにやって支えにしたからいいものの、もし間に合っていなかったら後頭部を打っていただろう。
誰がそんなことをしたのかと後ろを振り向くと、不機嫌を露にしている宮田さんと目がしっかりと合った。
今度はとっさに視線を逸らし、依子さんのほうを見る。
彼女はぽかんと口を開けて、宮田さんを見ていた。
「いい加減、彼女の好きにさせたらいいでしょう」
「友達を心配することがそんなにいけないことですか!」
「でしたら、私が責任を持って彼女をここに連れ戻します」
予想外の宮田さんの言葉に、一瞬時間が止まったかのように感じられた。
皆一斉に宮田さんのほうを見る。結構、皆間抜け面をしていたが、その中でも特に面白かったのは牧野さんだった。まるで神かはたまた悪魔でも見たような顔で、宮田さんを食い入るように見ていた。まぁ、私も人のことは言えない顔をしているんだろうけれども。
「文句はありませんね?」
一応、疑問系で聞いてはいるが、はいかイエスかしか認めないような雰囲気にあの依子さんが呑まれて、彼女はこくんと首を動かして、肯定の意を示した。
宮田さんはというとそれに満足げな顔をして、今度はこちらを見てくる。
何を言われるのかと緊張して、心臓が大きな音を立てているのが分かる。
「で、蛭ノ塚には何時ぐらいに着けばいいんですか」
「えっと……3時ぐらいには」
「分かりました。他に、どこか行きたいところは?」
「教会にも行こうかと」
普通の質疑応答だったことに安著して、しかしそれでも意味のなく手振りをつけて、宮田さんからの質問に答える。
私が、教会、と言うと、牧野さんが私のほうをちらりと見た。しかし、すぐに視線は逸らされてしまった。でも、気になって彼に聞いてみることにする。
「あの、牧野さん。何か?」
「あ、いえ、その、教会に八尾さんがいるかもしれないと思って……」
「八尾さん、ですか」
流石は八尾さんコンプレックスの持ち主だ。
しかし、彼にとっては八尾さんは正に女神様かマリア様のような存在なのだ。そんな彼女を心配しないはずがない。
……彼は、知らない。この異変の原因が彼女にあるということを。
それは余りにも哀れで可哀想なこと。
自分が慕って頼っている人が、こんなことを起こしただなんて、そんなこと知りたくないだろう。
同情とか哀れみとかそんなのがごちゃ混ぜになった顔つきで、私は彼を見つめているのだろう。
「そんなに心配なら牧野さんも行けばいいじゃないですか」
「え! で、でも私は……」
牧野さんの反論は、宮田さんの鋭い眼光によって尻すぼみになってしまう。
私はというと、先ほどかららしくない宮田さんの行動に驚いて、何も言うことが出来なかった。一体、彼の中で何があったというのか。もしかして、先ほど彼のトラウマに触れてしまったのだろうか。だとしたら、怒りの矛先は依子さんへ向かうはずだ。私はともかく牧野さんは何の関係もない。
「で、行くんですか?」
「……行きます」
牧野さんは本当に情けない顔をして、そう呟いた。
助け舟を出そうにも、そんなことをしたら彼の苛立ちの矛先が私に向いてしまう。そんなことはご免だった。彼は屍人よりも怖いのだ。
助けれなかった代わりに牧野さんは私が守ろう、そう決心して、それから少しだけ悲しくなった。思わず、牧野さんを守るために戦う私の姿を想像してしまったからだ。女らしさの欠片もない。