「あ、あれです」
前方に白い建物が浮かび上がる。地図通りなら、あれが旧宮田医院だ。
時刻は11時をちょっと過ぎたぐらいで、これなら恩田姉妹が同調していることもないだろう。
あれ、でもちょっと待て、これぐらいの時間に宮田さんが美奈さんに硫酸をぶっかけていなかっただろうか。下手をすれば、その現場に遭遇してしまう。
それとも、理沙さんを単独行動させずに誰かがついていって、美奈さんを既に撃退したのだろうか。
しかし、いくら考えたところで、その場に直面するまでは正解は分からないだろう。
私はここに来るときよりも感覚を研ぎ澄ませて、美奈さんの気配を探った。
高遠さんと春海ちゃんを無事に皆のところまで送り届けたいのだ。
私はSIRENというゲームを気に入っていた。原作の終わり方ももちろん好きだが、本当はハッピーエンドを望んでいたのだ。
だから、誰しもが幸せになってほしい。
……できれば、美奈さんや石田さんも。もっと欲張って言うなら、全ての人に幸せになって欲しい。
皆、あまりにも報われなさ過ぎる。
そんなことを考えていたとき、突如非常ベルの音が鳴り響いた。
この音は理沙さんが危険を知らせるために鳴らす音だ。ということは、早く助けに行かなければならない。
非常ベルの音に驚いて、辺りを警戒しながら見回している高遠さんと春海ちゃんを置いて、私は駆け出す。
足を怪我しているせいで上手く走れない。気持ちだけが逸って、もどかしかった。
「さん!?」
「私はこの音がするほうに行ってきます! 二人は診察室へ!」
二人を連れて行くのは危険だと思い、早く皆の下へ行くよう告げる。
高遠さんはすぐに頷いて、春海ちゃんを連れて診察室のほうへ向かった。
それを視界の端で確認してから、私は木材を握り締めて走り出した。速度があまり出なく焦ったが、思いのほか早く前方に二人の人影を発見した。
二人の、ということは理沙さんと美奈さんなのだろう。牧野さんはまだ来ていないのか。まぁ、来ていたとしても大して役に立たないのだけれど。
美奈さんに飛び掛ろうと思って、足に力を込める。そのとき、非常ベルのすぐ傍の階段から真っ黒い人影が躍り出た。牧野さんだ。
しかし、牧野さんは手に武器を持っているのにも関わらず、それで美奈さんを殴ろうとはしない。優しいというかヘタレというか。
「どいて!」
私がそう怒鳴ると、牧野さんはびくりと体を震わせ、こちらを振り返る。
私が猛然と突っ込んでくるのを確認すると、すぐさま横へ飛びのいた。
邪魔なものがいなくなったお陰で、私はなんの躊躇もなく美奈さんに突進すると、手に持った木材を振り下ろした。美奈さんに幸せになって欲しいとはいえ、誰かの命がかかっている今、私に容赦はなかった。
木材でも相当な衝撃だろうに、彼女はふらりとよろめいただけで、すぐにこちらへ向かってくる。
私はというと、足の痛みから体勢を崩して、転びそうになっていた。
しかし、手に持っている木材を支えにして、美奈さんの方へ向く。
彼女はスコップを掲げ持って、近づいてきている。そんな彼女の顔面に木片を投げつける。
これは効いたのか、彼女は顔を左手で押さえ、苦渋の声を漏らしている。しかし、それでもなお気絶することはなかった。
武器は既に投げてしまって手元に無い。つまり、私は丸腰状態である。
唯一武器を持っている牧野さんはといえば、へっぴり腰で役に立ちそうな状態ではない。理沙さんも武器を持っていなく、頼りにできる相手ではなかった。
唯一、頼りに出来るといえば、このあと来るであろう宮田さんだけだ。
状況をどう打開するべきかというよりは、軽く現実逃避をしながら、再びスコップを構えた美奈さんを見る。
と、その時、後ろから足音が聞こえてきた。これは、きっと宮田さんなのだろう。
そう思った私の予想は見事的中した。
宮田さんは素早く私よりも少し前に出ると、手に持った硫酸のビンを美奈さんに投げつける。
美奈さんは奇声をあげると、階段を駆け上がって、逃げ出した。
そのことに安著して、力が抜けてしまった私はぺたんと座り込んでしまう。いい加減、足が痛くて仕方がなかったという理由もある。
「貴女は……?」
暗くてよく見えないが右腿の様子を調べていると、頭上から宮田さんの声が降ってきた。
顔をあげると、無表情ながらにも不振気なオーラを漂わせた宮田さんと、眉尻を下げて困ったような顔になっている挙動不審な牧野さん、何が起こっているのかよくわかっていないのか呆然と私を見ている理沙さんがいた。
「あ、えっと、といいます」
「貴女が生き残っている人をここに集めようとしている人ですか」
「……すいません」
不振に思っているというよりは、不機嫌そうな声色でそう言われて、思わず項垂れて謝ってしまう。
そのまま気まずい沈黙が流れる。耐え切れなくなったのだが、こういう時にどうするべきなのかわからず、私は黙ることしかできない。
「足、怪我しているんですか」
「あ、はい。ここに来る途中に」
宮田先生はしゃがみこんで、カーディガンにくるまれた私の足を見る。
私は思わず傷口を隠すように手を置いてしまい、その痛みで小さくうめき声を上げてしまった。
「何してるんですか。さっさと治しに行きますよ」
そんな私を呆れたように一瞥をくれてから、宮田さんは立ち上がりさっさと来た道を引き返していってしまう。
「あ、あの腰抜けちゃって!」
「だったら、牧野さんにでも肩を借りればいいでしょう」
冷たくそう言い捨てると、本当に私たちを置いていってしまう。
確かにゲーム内では結構残酷で無愛想なキャラだが、もう少しぐらい心配してほしかったような気もする。
残された私たちはというと、お互い顔を見合い、何とも言えない微妙な笑みを浮かべた。
「えっと……肩、借りても?」
「あ、はい。もちろんです。……先ほどは助かりました」
「その言葉は先ほどの……男性に言ってあげてください。あの屍人を退治したのは彼なんですから」
うっかり間違って、名前を呼ばないように気をつけながら、会話をする。
牧野さんに助けてもらって立ち上がる。さすがは男性なだけあって、よろついたりせずにしっかりと支えてくれる。
「さっきの彼は宮田さんと言います。私は牧野です。で、彼女が理沙さんです」
「私はといいます。……勝手にここを集合場所に選んでしまってすいませんでした」
「いえ、いいんですよ。私たちとしても、人数が増えて頼もしかったですから」
牧野さんが本当に心の底からそう言っているように聞こえて、思わず苦笑いをしてしまう。
これが彼なのだから、仕方ないのかも知れないが、私としてはもう少し頼もしくなって欲しい。
少なくとも、診察室に行くまでの間は勇気を奮い立たせてほしいのだ。
「お姉ちゃん……」
そう言って、理沙さんが美奈さんが走りさった階段を見上げる。
知り合いがああいう姿になって襲ってきた経験はないので、彼女の胸中を察することしか出来ないので、うかつに何かを言うつもりにはなれなかった。
「理沙さん……でしたよね? 早く行きましょう。ここは危ないですから」
「……はい。先ほどは二人ともありがとうございました」
まだ階段を見つめ続けている彼女を心配に思いながらも、私たちは診察室に向かった。