木る伝が去った後も、私はしばらくその場にたたずんでいたのだが、屍人のうめき声を聞いて我に返り、慌てて廃倉庫まで戻ることにした。
屍人の気配を探りながら進もうとは思っているものの、中々集中できない。
先ほどのやりとりを考えてしまうのだ。あれは、会話のキャッチボールが成立していなかった。むしろ、会話のドッチボールのように思えたのだが、そんなことはさておき、会話の中身が問題だった。
特に気になったのは、「あの方のお子」という部分だった。
お子は多分私を指しているのだろう。では、あの方とは一体誰なのか? 言葉をそのまま読み解くと、あの方とは私の親のことだろう。しかも、血縁関係にあるであろうことから、記憶にないが実の両親のことなのだ。
私が封印を解いたことに対して、「流石はあの方のお子ということなのでしょうね」という賞賛の言葉をいただいた。
ということは、私のどちらかの親にも、私と似たような能力を持っていたのだろう。そして、木る伝と知り合いだった、と。
……ありえない。
ここはそもそも異世界なのだ。始めこそは夢だとは思っていたが、この肉体的にも精神的にも疲れる感じ、間違うことなく現実だ。
私の両親は元いた世界の人間で、木る伝はこのSIRENの世界のものなのだ。接点なんてないにも等しい。
そこまで考えて、導き出されるのは勘違いだろうというものだった。これが一番納得できるものなのだ。
それに、どれだけ悩んだって今の私では正しい答えを出すことが出来ないだろう。
そんなよくわからないことを考えるより、早く宮田医院に行って休みたい。途中で休んでいたって、それでも神経は張り詰めていた。もういい加減、何も考えることなく体を休めたかった。


「……高遠さん、いますか?」

「はい」


廃倉庫につくと、片手にバールを握り締めている高遠さんとその後ろで不安そうにしゃがみこんでいる春海ちゃんがいた。どうやら、もう目を覚ましたようだ。


「時間をとらせて申し訳ありませんでした。では、早速宮田医院まで行きましょう」

「あの、休まなくても大丈夫なんですか?」

「今ここで休んでも、大して体力は回復しなさそうですから。それよりも早く宮田医院に行って休んだ方が、疲れが取れるでしょう。……それと、よければバールを貸してくれないでしょうか? 途中でバットを失くしてしまって」


高遠さんは私の右手に視線をよこし、そして自分の持っているバールに目を映した。
そして、どうするべきか悩むように眉間に皺を寄せ、視線を私とバールに交互によこす。


「武器がなくなって不安になるのも分かります。ですが、失礼ですけれども、私の方が屍人を倒すのは上手いと思うんです。それに、もし万が一何かあった場合は、貴方達を逃がすためにも私は武器を持っていたいんです」

「逃がすって……!」

「春海ちゃんのことを思えばこそ、私がおとりになって、二人を逃がしてあげたほうがいいんです」


高遠さんは私の突然の申し出に、驚いて目を見開く。
だけど、きっと春海ちゃんだって私と逃げるよりも高遠先生と一緒のほうが安心できるだろう。


「でも、そんなことさせる訳にはいきません」

「貴女には春海ちゃんを守る義務があります」

さんにだって、宮田医院で待っているお連れの方のところに向かう義務があるでしょう」

「…………」


高遠さんにまっすぐと見つめられてそう言われ、私は返す言葉を失ってしまった。
それは、不安にも似た何かによるものだった。
はたして、宮田医院にいるであろう志村さん達は、私という一個人の帰りを待っているのだろうか。
そもそも、私には帰りを待っていてくれる人なんていなかった。むしろ、帰ってこなくていいと言われたほどだ。
そんな私の帰りを、待っていてくれる人……。


「待ってなんかいませんよ。仮に、待っていたとしても、それはという人物ではなくて、戦力としての駒を待っているんですよ」


いるわけないんだ、そんな人は。
自嘲気味にそう笑い捨てると、高遠さんは言葉を失って、私をくいいるように見つめる。
なんだか居心地が悪くて、私は高遠さんから引っ手繰るようにバールを奪うと、彼女達に背中を向けて歩き出した。


「こんなところで話している暇はないですよ。さっさと行きましょう」


高遠さんが何か言いたげに息を吸う音がしたが、しかしその言葉が吐き出されることはなかった。






「……もういいですよ。出てきても」


どうしても通らなければいけない道にいた屍人を一人で倒し、高遠さんたちが隠れていた場所でもう通れることを告げる。
始めに高遠さんが、その次に春海ちゃんが続いてでてきた。
無いよりかはマシだと思ったのか高遠さんは木材を持っていた。しかし、今だそれが使われる機会なんてないし、私も使って欲しくはなかった。


「お姉ちゃん、腕が……」


春海ちゃんが高遠さんにしがみつきながら、私の左腕を指差す。
そこを見てみれば、刃物で切られたような傷があった。といっても、別に深いものではなかったので、出血多量で死ぬことはないだろう。しかし、赤い水が入り込んでしまったら大変なことになる。せめて、傷口を塞ぐべきか悩んでいると、高遠さんがポケットからハンカチを取り出した。


「さ、腕を出して」

「いや、別に気にしなくても」

「早く!」


高遠さんの有無を言わせぬ気迫に押されて、おずおずと片腕を差し出す。
彼女は手早く傷口にハンカチを当てて、少しきつめにそれを巻く。ずいぶんと慣れた手つきだったので、普段からこういうことには慣れているのだろうかと、思わず感心してまった。


「ありがとうございます」

「いえいえ、礼には及びませんよ」

「では、行きましょうか」


頭を下げてお礼を言ってから、私たちは再び歩き出した。
宮田医院まではあと30分ぐらいで着くだろうか。そう思って、気を緩めてしまったのがいけなかった。


「きゃあ!」


春海ちゃんの叫び声が聞こえて、慌てて振り返る。
そこには私が先ほど倒した屍人が、鎌を振り上げて春海ちゃんに近づいていく姿があった。
高遠さんと私はほぼ同時に走り出す。
高遠さんが春海ちゃんの前に飛び出たのがわかったので、私は屍人との間合いをつめて、そいつが鎌を振り下ろすよりも早くバールを脳天に振り下ろした。
今だ慣れない鈍い感触が伝わって、屍人はゆっくりと倒れこんでいく。
その時だった。最後の悪あがきと言わんばかりに、振りかざされた鎌が私の右腿に命中した。
とたん、痛いのか熱いのかよくわからないものが体を駆け抜ける。
私は後ろに後ずさり、体勢を崩してしりもちをついてしまう。そんな私に驚いたのか、慌てて高遠先生が近づいてきて、屍人の体を何回か打撃する。
そうして、倒したのを確認してから、彼女はこちらを振り向いた。春海ちゃんも心配してくれて、傍に来たのがわかった。二人の視線はすぐに私の右腿へと向けられる。
そして、ほぼ二人同時に息を吸い込んだ。


「だ、大丈夫、お姉ちゃん!?」

「……生憎だけど、あまり良い事態ではないね」


幸いにも貫通こそしなかったもの、相当痛い。血もどんどん湧き出してくる。左腕の怪我とは比べ物にならないほどの大怪我だった。
私は羽織っていたカーディガンを脱ぐと、それを高遠さんに渡す。


「すいませんが、応急処置をお願いしても?」

「もちろんよ。ちょっと痛いかもしれないけど我慢してね」


やはり彼女はそういう心得があるのだろう。素早く手当てをしてくれた。
と言っても、カーディガンを適当な大きさに破いてそれを包帯の要領で巻きつけるだけ。
手当て専用のものがないこの状況下においては、それが最善の治療方法だった。


「……ありがとうございます」

「立てる? 肩を貸そうか?」

「では、お言葉に甘えて」


一人で歩行するのは困難だったので、高遠さんの肩を借りることにした。
バールを高遠さんに渡し、代わりに木材を頂き杖代わりにする。
私が持っていた懐中電灯は春海ちゃんに渡し、足元を照らしてもらうことにした。


「本当に申し訳ありません」

「お姉ちゃんがいてくれたから、春海はここまで来れたんだよ。だから、謝ることなんてないよ、お姉ちゃん」

「春海ちゃんの言うとおりよ。こちらがお礼こそ言え、さんが謝ることなんてないわ」


そう元気付けるように言われて、私は苦笑を返すことしか出来なかった。二人の励ましが心に沁みて、それしか出来なかったのだ。


「腕の怪我の治りは遅くていいから、早く足のほうを直したいな……」

「そうなればいいわね」


私の呟きが聞こえたのか、くすくすとまるで子供を見守るような感じで笑い混じりにそう言われてしまった。
能力を頼りにしたかっただけであって、決して子供染みたまねなんかしていない!
そんな反論をしたかったが、それでも優しい眼差しを向けてくれる高遠さんになんだか気恥ずかしくて何も言えなかった。