大字波羅宿には4時ぐらいに着いてしまった。
安野さんが火の見櫓付近に来るまで、後1時間ほど時間がある。
この物語は3日間の間で全てが終わる。時間にしてたったの72時間しかないのだ。
そのうちの1時間ですら、無駄にするのは勿体無いと思えて仕方がない。


「志村さん。例の女性が来るまで、あと一時間ほどあります。志村さんは火の見櫓にでも昇って、様子を見つつ休んでいてください。私は……先に水蛭子神社に言って女の子を助けに行ってきます」

「おい、単独行動は危険じゃ……」


志村さんは険しい顔つきをして、こっちを見ている。
彼が心配してくれるのも分かる。私なんて戦闘経験が皆無のただの女なのだ。
こんな状況下で単独行動すようものなら、真っ先に死ぬのが目に見えている。
しかし、生憎私には情報という武器があるのだ。
敵の配置も大体なら覚えている。幻視を出来ないのは痛手だが、私には何故だか簡単なことなら叶えることができる能力がある。あまり当てにはできないけれども。


「大丈夫です。何とかなりますよ。……でも、もしも万が一、私が戻らなかった場合は、助けた女性と彼女の連れの人と共に行動したほうがいいかもしれません。お連れの方は、拳銃を持っているので結構頼りになりますし……」


それに彼は、志村さんと親交のあった臣人さんの息子なのだ。色々と積もる話もあるのかもしれない。
私自身に何かあった時の話をしたが、志村さんには危険な目に遭ってもらいたくなかった。それは、彼に二度も命を救われた恩によるものもあったが、一番は息子である晃一さんに会ってほしいと思ったからだ。
いや、別に会わなくてもいい。彼の存在を知ってほしかった。志村さんは妻と息子と従兄弟を一度に失って悲しみにくれていた。救いになるのかならないのかは、わからない。それでも、私は彼に幸せになって欲しかった。教えることが幸せにつながるのかどうなのかはわからないのだけれども。


「とにかく! 私は一足先に水蛭子神社に行っています。志村さんと助けた女性も、水蛭子神社まで来てください。そこに9時くらいに、女性の連れの方がやってきます。それまで、そこで待っていましょう。そして、全員そろったら今度は旧宮田医院に行きましょう。そこに、この世界を何とかすることが出来るかもしれないものがあるんです。旧宮田医院にある武器は絶対に必要となります。誰でもいいけれど、誰かがしなければいけないことがあるんです。もし、途中で何かがあったとしても、最終目的地は旧宮田医院としてください」


そう一気に喋る。志村さんは私の言葉というより気迫に驚いたようだった。
志村さんが怯んでいるうちに、さっさと水蛭子神社に向かってしまおう。
地図を引っ張り出し、おおよその見当をつけると私は歩き出した。


「それじゃあ、ご無事をお祈りしていますよ」

「……お譲ちゃんもな」






途中何度か道に迷い、屍人とも遭遇し、私はようやく水蛭子神社であろう建物を発見した。
といっても、それは遠く、霧に包まれていて、注意深く見なければ分からないであろうほどの距離がある。
ここから先は、ゲーム通りなら配置を覚えている。屍人の行動パターンもだ。
慎重に、しかし素早く的確に屍人達を撲殺しよう。気分は、撲殺天使の異名を持つ宮田さんというよりは、火掻きボルグを手にしたSDKといった感じだ。


「私なら、出来る。やれる。私は異界ジェノサイダーなんだ」


自分に言い聞かせるようにそう呟いて、覚悟を決める。
屍人と何回か遭遇して、その際は場合によっては撲殺した。相手は全員近距離用の武器だったので、なんとかなったのだ。
しかし、今度はそうはいかない。敵には銃を所持しているものもいるのだ。
下手をすれば死んでしまう。しかし、このまま知子ちゃんを放っておけば、いずれは彼女が死んでしまう。
私は息を潜めて、まずは銃を所持している屍人の背後に忍び寄る。すばやく、倒さなければ仲間を呼んでしまうかもしれない。それ以前に、銃で撃たれるかもしれない。
私は、汗をびっしょりとかいている手を服でぬぐい、しっかりとバットを握れることを確認すると、茂みから飛び出して、バットを脳天目掛けて振りかざした。
心臓がバクバクとうるさい。それでも、気にせずもう一度振り上げて、振り下ろす。
スイカ割りをしたらこんな感じなのだろうか、そういった感触が手に伝わった。
私はいつの間にやら溢れ出ていた額の汗をぬぐってから、屍人の意識があるかどうかを確かめた。
屍人はあの独特の蹲り方をしていたので、どうやら気絶しているらしい。しかし、念のためともう二、三発殴っておく。
硬直を起こさなければ銃を奪えたのにと、残念に思いながらも、私は次の屍人を見つけて忍び寄る。
今度は銃を持っていないので、それほど緊張することなく倒すことが出来た。
向こう側にもう一人銃を持った屍人がいるのだが、そいつは知子ちゃんを見つけるのに助ける必要はなく、だから放っておいて水蛭子神社へとつながる石段を駆け上がった。



「誰かいる?」


そっと社の扉を開くと、隅のほうに体を小さくしている赤いジャージ姿の女の子を発見した。
その子ははっきりと分かるほど、体を震わせていた。
私のことを屍人だと思っているのだろう。だから、こんなに怯えているのだ。
こういう時になんて声をかければいいのか分からなく、痒くもないのに右頬を掻きながら知子ちゃんのほうに近づく。


「あのさ……私は化け物じゃないから安心していいよ?」


とりあえずは彼女を安心させるためにそう言ってから、そっと肩に手をかけた。
知子ちゃんは見ていて可哀想になるほどびくりと大げさに体を震わす。そして、ゆっくりとぎこちなく私の方を振り向いた。
その目は徐々に大きく見開かれ、きっと私が人間であることをわかってくれたのだろう。
私は知子ちゃんを安心させるためにも微笑みかけ、そして頭をゆっくりと撫でる。
人を安心させる方法なんて分からない。ただ、志村さんにそうされた時、私はとてもリラックスできたのだ。私なんかが人に何かを与えることなんて出来ないかもしれない。それでも、やらないよりかはマシかと思い、そっとぎこちなく撫でてあげる。
知子ちゃんは緊張の糸が切れたように、私にしがみついて泣き出した。
声は小さく最小限に抑えてくれるので余計な心労を患わずに済んだと、私もほっとため息をつく。
しばらくはそうしていただろうか。
知子ちゃんは落ち着いたのか、顔を上げて涙を拭った。そして、小声で小さくお礼を言う。


「私なんかじゃたいした力にならないだろうけどね。名前、聞いてもいいかな?」

「私、前田知子っていいます。あの、お姉さんは……?」

「あぁ、言い忘れてたね。私は。知子ちゃんは一人で此処に来てたの?」


事情を知っているとはいえ、それを知子ちゃんから聞かないうちに話してしまえば、気味悪がられるのは目に見えている。
私はひとまず会話がしやすいように、彼女からここに至るまでの経緯を話してもらうことにした。
知子ちゃんが話してくれたのは、私がよく知っているSIRENの筋書き通りだった。
その事実に安堵する。もしも、違っていたのなら私は役立たずになってしまうのだから。


「求道師様、どこ行っちゃったんだろう……」

「話を聞く限りでは、その状況で知子ちゃんを救うことは無理だったのかもしれない。……でも、きっと求道師様は知子ちゃんのことを探していると思うよ」


事実、宮田さんと会ったときに知子ちゃんの行方を聞いている。
彼はヘタレだが責任感はあるほうだと思う。むしろ、背負い込みすぎて押し潰されていそうだ。


「お母さんとお父さんに、会いたい……」

「もしかしたら違うかもしれないけど、ここに来る途中、中年の男女二人組みの姿を見かけたんだ。教会のほうへ向かっているようだった。もしかしたら、知子ちゃんのお母さんとお父さんだったのかもしれない」

「じゃあ、早く教会に行こ!」


見かけたというのは真っ赤な嘘だが、教会にいるであろうことは真実だ。
彼らは明日の午前6時まではあそこにいる。
彼らが教会を出て行くきっかけは知子ちゃんが訪れることにある。彼女が此処にいて私と共に行動しているのだから、きっとご両親は八尾さんに何かされない限りは教会内にいるだろう。
だから、知子ちゃんには悪いが、彼女のご両親を救出する優先順位は低い。
それよりもまず優先するべきは、春海ちゃんを助けるために爆死する高遠先生なのだ。
しかし、そんなことをあっさりと述べようものなら、一人で教会まで行きかねなかった。


「……悪いけれど、今すぐに行動することは出来ない。私にも連れの人がいて、その人とここで落ち合う約束になっているの。それに、私と知子ちゃんだけで教会まで行くのは大変なの。下手をすれば死んでしまうかもしれない。だから、本当に申し訳ないんだけれど、少なくとも8時ぐらいまではここから動けないんだ」

「だったら私、一人で」

「そんなことをしたら、無駄死にするだけ。ご両親が心配な気持ちもわかるよ。でも、知子ちゃんのお母さんやお父さんだって、知子ちゃんのことを心配しているはず。だから、今は我慢して、ね?」


知子ちゃんの表情は俯いていているのでよく読めない。けれども、両手を白くなるほど握り締めているのはわかった。
そして、数分後わずかにだけれども、首を縦にふってくれた。
知子ちゃんは両親のことを心配していないはずがない。それでも、こうして時が来るまで待っていると言ってくれたのだ。


「ありがとう」


そう呟いてから、その体を抱きしめた。
温かくて、生きていることがよくわかる。この子を、氷のように冷たい体にしちゃ駄目だ。そんな使命感に駆られて、抱きしめている腕にもう少しだけ力を込める。
とりあえずは、志村さんと安野さんが来るまでは、この子を守りきろうと心に決めた。