目が覚めると、そこは鬱蒼とした木々が生い茂る森だった。
それを見て、すぐにこれは夢だと確信する。
現実からの逃避を願ったが、まさかこんな自然み溢れる場所を夢に見るなんて。
それにしても、私が何が悲しくて、こんな暗いじめじめとした湿気が溢れるような場所を思い浮かべているのだろうか。
どうせなら、もっと華やかで明るい場所を思い描けばよかったのに。
あぁ、でも夢は人の深層心理を表すという。ということは、これは私の陰気な思想を表したもの?
そんなことを思いながら、立ち上がる。
服装は眠りにつく前と全く同じ。靴は履いていなかったのだが、そこは夢の世界だ。きちんとスニーカーを履いていた。
サンダルじゃなくてよかったと思いながら、ただ突っ立っているのも暇なので歩き出す。
それにしても、本当に暗い森だ。
確かに明かりが少ないという意味でも暗いが、雰囲気もなんだか重い。
自分が枝を踏みつける音などしか聞こえないこの暗い森には、なんだか生気というものが欠けているような気がした。






自分がいかに根暗なのかを考えつつ歩いていると、ようやく私以外を発生源とする音を聞いた。
代わり映えのしない森に飽きてきていた私は、好奇心をくすぐられそれが何なのか調べるために、音がしたほうに向かっていく。
木立を掻き分けて、たどり着いたそこで――拳銃をもった一人の男性の後姿を見た。
なぜ、そんな物騒なものを持っているのかという疑問を抱く前に、私は本能的に木の陰に隠れる。
どうやら、奇跡的に私の存在に気づかなかったらしい。
しかし、もしも何か大きな音を立てようものなら、あの拳銃で……。
どうすることも出来なくて、私はずるずるとしゃがみこむ。
どうしようもなかったし、どうにもできなかった。
私は武器なんて持ってなかったし、仮に持っていたとしても遠距離で使うことのできる武器である可能性はほとんどない。
今ここで動いて、あの男に気づかれようものなら、あっさりと打ち抜かれてそれでおしまいだ。
だからこうしてひたすら体を小さくして、あの男がこっちに来ないよう祈るばかりだ。
しかし、私はすぐに自分の運のなさを呪うことになった。
あの男がこちらに近づいてくる。足音は規則的とは言えないが、それでも確実にこちらに近づいてきていた。
どうすることもできなくて、頭を抱えて目を硬く閉じる。
私は夢の世界ですら、こんな思いをしなくてはいけないのか。
まさしく、絶望。そんな思いに心が支配されそうになったその時。

一発の射撃音が聞こえてきた。
咄嗟に更に身を硬くして、来るであろう衝撃に耐えようとしたのだが、いつまで経っても痛みが襲ってくることはなかった。
おそるおそる顔をあげて、物陰からあの男の姿を探そうとすると、そいつは存外近くに蹲っていた。
この蹲り方……どこかで見たような。いや、ような、じゃなくて私は見た。でも、実際に見たわけじゃなくて、つまり――。


「大丈夫か、お譲ちゃん」


私の思考は、その言葉によって停止した。正確に言うと、その声にだ。
この声もまたどこかで聞いたことがある気がする。
……誤魔化すのは無しにしよう。私は知っている。私の前で蹲るものの正体を。聞こえてきた声の持ち主を。そして、多分ここがどこなのかも。
確信にも似たものを感じながら、私の予想を確かなものにするために、私は振り向いた。

そこには猟銃を構えたダンディズム溢れるご老人――志村晃本人がそこにいた。
志村さんを見たまま動かない私を腰が抜けたかどうかしたかと思ったのか、彼は私に手を差し伸べてくれた。
考える前にその手を掴むと、予想外に力強く立たせられた。一体、そのご老体のどこにそんな力があるというのか。


「あ、ありがとうございます」

「怪我はないようだな……せいぜい、生き残れるように頑張りな」


今だ、思考は止まったままだったが、反射的にお礼を言う。
そんな私を見て志村さんは一回だけ頷くと、踵を返して立ち去ろうとする。
私はそんな彼の腕を慌てて掴んで、引き止めた。


「ちょ、ちょっと待ってください! あの、もしかして……」

「……よそ者だと思ったが、違うのか?」


私の質問の意図をすぐに汲んだ志村さんは、訝しげにこちらを見る。
明らかに羽生蛇村の人間ではない私が、ここが現実世界ではないと気がついていることが不思議なのだろう。


「確かに、私はここに住んではいませんが、でも、この村で何が起きているのかは知っています」

「……そうか。確かに、あんたが考えている通りのことが起こっている。お譲ちゃんは、どうやったらここから逃げ出せるか知っているか?」

「いいえ、知りません。知っているであろう人物に心当たりはあるのですが、生憎その人とまだ出会えていないので」


私の言葉を聞くと、志村さんは残念そうにため息をついた。
そうして去ろうとする彼を、私は再び慌てて引き止める。
志村さんは眉間に皺を寄せると、私が何かを言うのを待つ。
痛いほどの視線に怯みそうになったが、私はそれでも彼に言わなければいけないことがある。
志村さんの最期を知っている私だからこそ、言わなければいけないこと。


「……死んでも逃げることなんて出来ませんよ」


志村さんは目を見開く。自分の考えが読まれたことに驚いているのだろうか。
私はまだ言うべきことがあると思って、再び口を開く。


「死んでも化け物になります。生きていても、体の中に一定量の赤い水が溜まると化け物になります。そして……元の世界に戻るには、赤い水を体内に入れてはいけないんです。無傷で戻る方法を探さなければいけません」

「どうしてそんなことを……」

「言ったでしょう。この村で何が起きているのか知っているって」

「もしかして、お前はあの女の」


猟銃を構えて、それを私の額につきつける。
先ほどは拳銃を見ただけで怖かったが、今はそんなことは全くない。
何故だか、彼を引き金を引かないという自信があった。


「違います。私は……詳しい事情は話せませんが、貴方が住んでいた世界とは違う世界の人なんです。もちろんこの世界の人間でもありません」


正しく言うのなら、詳しい事情を把握していないから話せない、だが、ややこしくなるのでそこは省いた。


「違う世界……か。こんな状況なら信じるしかないな」

「ありがとうございます」

「で、お譲ちゃんはどうして俺を引きとめたんだ?」

「貴方は逃げるために死ぬおつもりなのでしょう? でも、死んだって化け物になってしまう。悲しいじゃないですか。ですから、お教えしたかったんです」


私の気持ちを正直に話す。
もし、ここが夢の世界であってもなくてもSIRENの世界であったなら、私は彼らを救いたいと思う。
あまりにも悲惨な最期を遂げる人が多すぎるのだ。
それを回避することを私が出来るのならやりたい。自己満足でも、エゴでもいいから助けてあげたいと思った。
私にとっての現実世界において、SIRENなどの空想世界は救いだった。
一時的とはいえ、現実から逃げ出すことが出来たのだ。これはせめてもの、お礼。
私の考えを話しているうちに、ふと別の考えが浮かんできた。
このまま、志村さんを放置しておいては、いずれは屍人にやられてしまうかもしれない。
だったら、一緒に行動すればいいじゃないか。
私としても、志村さんが一緒にいるのならそれほど心強いことはない。
その旨を伝えてみると、志村さんは苦笑しつつも頷いてくれた。


「ちゃっかりしてるな」

「そうしないと生き残れませんから」


こんな危険な状況下なのに、何故だか笑い合う。
志村さんの笑い顔は温かくて、安心できた。おじいちゃんという人がいたことはないが、いたらきっとこんな感じなのだろう。


「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。といいます。これからよろしくお願いしますね」

「志村だ。よろしくな」


お互い自己紹介を済ませると、倒した屍人が意識を取り戻す前にこの場を後にすることにした。