暖かな、というよりも暑い陽光が燦々と照りつけてくる。その暑さはさておき、暴力的なまでの光は耐えづらいものがあった。それを遮る役目であったはずのカーテンは、端のほうで網戸から入ってくる風に揺られていた。そこまで確認したところで、タオルケットを頭の上まで引っ張りあげる。多少、息苦しいが、カーテンを閉めなおすのは億劫であった。再び安寧の眠りの世界へと旅立とうとする。しかし、それを邪魔するものがいた。タオルケットを乱雑に奪われ、私は眉間に皺を寄せながら、その極悪人を見上げた。タオルケットを四つ折にしている黒ずくめの男は、抗議の視線に気がついて呆れ顔を浮かべた。
「全く、夏休みだからといってだらだらしていてはいけませんよ」
「休みの日に休まなくて、いつ休めばいいのさー……」
欠伸を噛み締めながらそうぼやく。この糞暑い中律儀に真っ黒な求導師服を着込んだ牧野さんははっきりと聞こえるため息をついて、それからぱんぱんと二度手を叩いた。乾いた音が響く。そろそろ言うことを聞かないと、本当に怒られそうだ。経験則からそう考えて、しぶしぶ体を起こす。心地いい温もりに浸っていられる布団とさよならするのは名残惜しいが、お腹の虫の機嫌も伺わねばならない。いつぞやのように、朝食抜きにされるのはごめんだった。
「朝食はもうとっくに出来ていますからね。食べたら、きちんと礼拝するんですよ」
「はいはい」
「返事は一回でいいですよ」
「そんなテンプレみたいな返ししないでよー」
視界の端に映る飛び跳ねた髪を撫で付けながら、再び欠伸をする。手を組んで伸びをすれば、筋肉が解れて気持ちいい。牧野さんはタオルを私の足元にぽんと投げて、「布団もきちんと畳むんですよ」と言って部屋から出て行った。
あんなに鬱陶しいと思っていた陽光も、起きてみれば清々しい朝を演出しているように思える。窓の向こうには透き通った青空には綿菓子みたいにふわふわとした白雲が浮かんでいる。まさに夏といった風景だった。
それを横目に見ながら、紺地に白のストライプのゆったりとしたトップスと白のショートパンツに着替える。街まで二人きりでこの服を買いに行った日の事を思い出して、一人にやけた。
記憶の中のショッピングセンターとは違い、リビングはいつも通り整頓が行き届いて、静かだった。テーブルの上には、純和風の朝食が一人分ぽつんと置かれている。それを尻目に冷蔵庫から麦茶を取り出して、コップに注ぐ。それを一気に飲み干せば、冷たさが体に染み渡った。まだ幾分かぼんやりしていた頭が、ようやくはっきりとしだした。起きたばかりでまだ食欲はなかったが、それでも椅子を引いて座る。
「いただきまーす」
しっかりと躾けはされている。最早習慣と化した食事の挨拶をして、ご飯を口内に放り投げた。もぐもぐと朝食を咀嚼しながら、新聞を引っ張り寄せる。行儀が悪いのは分かるが、誰も見ていないのだから大丈夫だ。テレビ欄を見てみても特に変わり映えはしない内容だし、社会欄なんて見ようものなら再び眠気がぶり返してくるだろう。新聞を脇に寄せて、テーブルに置いてあったわら半紙を手繰り寄せた。
「はにゅーだむらむらまつりー」
黒インクででかでかと書かれたその文字を読み上げる。そのビラが見慣れたものであったので、好奇心はそれほどくすぐられない。開催日は見なくても分かる。今日だ。1週間ほど前から、やにわに騒がしくなっていた。何せ、私が住んでいるここ――牧野家は祭りの主催だからだ。実質取り仕切っているのは、村の名家である神代家なのだから、そちらで打ち合わせもして欲しいものである。牧野家の男児は代々、村の教会の求導師を務めているのだ。村のジジババが崇めている神様、堕辰子を祭っている教会は、正直言って好きじゃない。教会の奥にある洞窟などは不気味この上ないのだが、現求導師様はそれを埋めようとは思わないらしい。彼の性格を考えれば、それも分からないでもないが。
教会そのものの不気味さも嫌いだが、そんなことよりも気に食わないことがある。それは、求導師の負担だ。熱心な信者の多いこの村の人々は、求導師が求導師らしく振舞うことを強く求めている。そのプレッシャーは、若造の私には想像すら出来ないものなのだろう。だからこそ、余計心配だ。私の保護者である現求導師――牧野慶さんは気弱で臆病者でうだつの上がらない人なのだ。年に一回の祭りが近づくにつれ、顔色は悪くなるし、トイレに篭る時間も長くなる。いつか痔になるのではと冷や冷やして、気が気ではない。
「神代とか宮田とかに任せればいいのにね」
そう呟いて、パンの最後の一欠けらを口に放りこんだ。牛乳でそれを飲み込み、立ち上がる。ぐだぐだと文句を言っていても、小娘風情に村の風潮を変えることなど出来ない。ならば、せめて牧野さんの負担を少しでも軽くしてあげよう。寝坊した私が威張って言えることではないが、微力ながらも出来ることがあるはずだ。といっても、毎年雑用ばかり押し付けられて、肝心の牧野さんの役に立っているという実感が湧くことは今年もないのだろう。そんな予感がしながらも、家を飛び出し、歩いて五分ほどの教会に向かった。
角を曲がると視界に入ってくる不入谷教会は、教会の名に負けずいかにもらしい場所にある。周りを森に囲まれた木造の教会には、燦々と日の光が降り注いでいた。しかし、私の目には陽光の元で見てみても拭えない不気味さが漂っているような気がした。遠目に教会を眺めていると、不意に赤錆が浮いた鉄製の扉が開かれた。
「あ、牧野さ……!」
扉の隙間から影法師が飛び出した。牧野さんだった。酷く慌てた様子で、私の声も届かないようだった。牧野さんは教会から真っ直ぐに伸びる道を駆けてゆく。村へと繋がるその道は、私が立つ小石が転がるわき道よりも整備されている。しかし、牧野さんならば何もなくても転んでしまいそうで心配だった。
いつまでも遠ざかる牧野さんの背を見ているのは性に合わない。彼の後を追うか、当初の予定通り教会に向かうか暫し悩んだ後、教会へと歩を進めた。
「すみませーん」
扉を僅かに開いて首を突っ込む。教会の中はがらんとして活気が無かった。祭壇すぐ前の長いすに腰掛けた女性が、赤いベールを翻らせて振り返った。
「あら、ちゃん。こんにちは」
柔和な笑みを浮かべた求導女――八尾比沙子さんは、私の母親代わりのような人だ。妙齢の美人で、誰にでも優しく聖母マリアのような人である。後ろ手に扉を閉めながら、八尾さんに気になっていることを尋ねる。
「こんにちは、八尾さん。さっき牧野さんが走ってくの見たんですけど、何かあったんですか?」
「宮田さんのところにに急ぎのようが出来たみたいで」
「宮田に?」
自然と右眉がきゅっと持ち上がった。牧野さんがわざわざ宮田の家に使いに行くほどの用とは一体何だろうか。宮田は村唯一の病院を経営する家であり、神代家を支える役目も担っている。今の病院長は牧野さんの双子の弟である宮田司郎だった。顔の作りから背格好に至るまで牧野さんそっくりで、容姿の違いといえば髪型と泣きボクロの位置ぐらいなものだった。一方で中身は正反対だった。私はどうにも宮田先生が好きではない。爬虫類にも似た冷たい眼をしたあの先生は、医者としての技術は確かに持っていたが、人当たりのいい性格ではない。双子の兄であるはずの牧野さんに対してよそよそしいし、彼の態度はなんだか私にも良い感情を持っていないように感じられた。
「祭りのことでちょっと問題が起こったみたいでね。でも、たいしたことはないそうよ。ところで、ちゃんは――」
「私、手伝えることないか牧野さんに聞いて来ますね!」
穏やかに言葉を続ける八尾さんの言葉を遮って、私は教会から飛び出していた。風がごうごうと音を立てて、木立を駆け抜けていく。森を走り抜けながら、不吉な予感が胸の中で疼くのを感じた。