一週間ぶりの現世に、浮き足立っているのが分かった。うっかり度忘れしてしまったがために、途中で終わってしまった調査ではあったが、そこは機転を利かせて何とか報告書を書き上げることが出来た。上司に有無を言わせずそれを押し付け、残った仕事と約束を果たすべくこうしてまた鳴神学園に戻ってきたのだった。
報告書を書いている間、派遣の下っ端に殺人クラブの次の活動予定を調べさせたところ、あの日から丁度一週間後――つまり、今日であった訳である。昼間に堂々と学校に乗り込んだとしても、メンバー全員を集めるのには骨が折れると考え、部活の日を狙うことにした。私が今現在立っているこの小さな部屋は、日野が部長を務める新聞部室であるとともに、殺人クラブの根城でもある。かすかに人の気配が残っていることからも、時間帯にそぐわずここに誰かがいたことを伺わせた。また、隅にはメンバーの私物らしき鞄も放置してあったから、ここで待っていればいずれは会えることは明白であった。
せっかくだから、株式会社の社員らしく彼らを驚かせてあげようと、電気をつけずに待つことにした。しかし、カーテンの無いこの部屋には月明かりが降り注いでいるので、特に暗いとは思えなかった。それに、私はこれでも幽霊の端くれなのだ。明るいところよりも暗いところのほうが好きである。
メンバーの私物を勝手に見たり、恨みノートに書かれた陳腐な呪いの言葉を眺めたりして、ぼんやりと過ごしていると、不意に血の匂いを感じた。匂いのしてくる方へ意識を向けてみれば、一つの集団がこちらに向かってきているのが分かった。これで、幽体ならば姿を消すことも可能ではあったが、今の私は仮初とはいえ肉体を持っているのだ。突如姿を現して驚かすというのは出来そうにない。なので、地味ではあるが気配を消して、扉のすぐ横に隠れることにした。これならば、ドアを開けることによって、丁度死角となる位置に私が隠れられることになる。
床と扉が擦れる音がして、複数人の足音や衣擦れの音、僅かな会話がより鮮明となった。壁とドアに挟まれることによって一時的に月光が届かなくなったが、すぐに無遠慮な人工的な光が点いた。そして、最後の人が扉を閉めたので、必然的に私の視界も開けることとなった。そして、まず初めに目に飛び込んできたのは、白いワイシャツを着た大きな背中だった。私が見間違えるはずもない。これは新堂先輩のものだ。そう確信した私は、その背中に飛びついた。


「お疲れ様ですっ!」


気分は、部活帰りの先輩を見つけた後輩のようなものだ。時間帯と、先輩から漂うのが汗の匂いではないのが問題点ではあるが。
新堂先輩は私の行動に気づけたはずも無く、飛び掛られた勢いでよろめいた。前に倒れそうになるのを支えつつ、彼の背後からその他メンバーの様子を伺った。そして、思わず噴出してしまう。皆、まさに鳩に豆鉄砲を食らわせたような顔をしていたのだ。あの風間先輩ですら、そうだったのだから笑ってしまうのも仕方がない。


「すっごい顔……」


顔をニヤニヤと歪めながらそう言うと、それが合図になったかのように新堂先輩が体を半回転させつつ、後ろに飛びずさった。こちらを向いた新堂先輩の顔には、驚愕や恐怖など私たちにとっては大好物と言えるものを浮かばせて、私を食い入るように見つめている。その口元は、驚きでか閉じることを忘れているようだった。


「改めまして、お久しぶりです皆様方。お変わりなくお過ごしでしたでしょうか?」


あまりにもメンバーが固まっているので、ふざけた調子でテンプレート通りの挨拶をする。ついでに、可笑しな道化のように仰々しく頭を下げて見せた。顔をちらりと上げて反応を伺うと、真っ先に倉田さんがこちらに人差し指を突きつけてきた。


「消えたんじゃなかったの!?」

「不慮の事故で消されちゃったから、こうして戻ってきたの。何か問題でもある?」

「やっぱり人間じゃないのね!」

「元々貴女に人間だと言った覚えはないんだけど。何事も見た目で判断しちゃいけないってのは常識でしょ?」


口喧しくぎゃーぎゃーと文句を言う倉田さんが、うざったかったので人差し指を横に振る。すると、彼女はぴたりと口を閉じた。いつだったか見た映画でこんなシーンがあったので、常々使ってみたいと思っていたのだ。私の思惑通り話すことが出来なくなった倉田さんを見て、メンバーが一歩私から距離をとる。風間は少しだけ行動が遅れていたから、周りに合わせただけだろう。ただ一人、元木さんだけが強い視線で私のことを見てきた。


「恵美ちゃんに、何をしたんですか?」

「話せなくしただけ。うるさかったしね。用事を終えたら元に戻すから安心してよ」

「そんなの信じられると思ってるんですか?」

「別に信じなくてもいいけど、貴方達が束になっても私には勝てないと思うけどなー。元木さんのエクトプラズムだって、この間効かなかったでしょ?」


意外にも元木さんが反抗してきたことに些かの驚きを覚えつつも、同時にまた別種の驚きも感じていた。それは、いかにも気の弱そうな彼女が倉田さんのために行動を起こしたということだ。しかも、エクトプラズムに頼るでもなく、己の身一つでだ。そういう風には見えないし、例えそうであったとしても私的に倉田さんのために、誰かに刃向かおうなんざ思えない。驚くとともに関心しつつ、しかしそれを表に出すことなく言葉を返すと、元木さんは下唇を噛みしめながら下を向く。彼女も私に敵わないということを十分に理解していたらしい。


「基本的に私嘘はつかないから、心配無用だよ。それで、ちゃっちゃと私の用事を終わらせたいから、こっちに来てくれない。日野?」


日野に向かってこっちに来るように手を振って見せても、日野は険しい表情のまま動こうとしなかった。無理やりこちらに連れてくることも可能なのだが、私はあえてそれをせずわざとらしいほどにゆっくりとした歩調で、日野に近づいていった。どうしてそんな面倒なことをしたかといえば、それは日野の目に確かに恐怖が映っていたからだ。それが愉快で仕方が無く、もっと怖がらせたいと思ったから、こうやって近づいた訳であった。


「面倒かけさせないでくれるかな?」


鼻と鼻がぶつかりそうになるほど顔を近づけるが、絶対に触れないように気をつけてはいる。新堂先輩や坂上君ならともかく、日野には触れたくない。日野への感情は既に生理的な嫌悪感の域に達している。それでも、恐怖に慄く様を見るのは楽しいもので、だからこうしてたっぷりと堪能させて貰っているのだ。
暫くの間、息をすることすら憚られるような沈黙が訪れた。日野の喉仏が上下して、それだけ彼が緊張しているということが理解出来たので、ここら辺でおふざけは止めることにした。少し距離を取って、笑いかけてみせる。それぐらいで日野の顔の強張りは解けなかったが、それよりも用事を終わらせようと、私は一枚の紙を取り出した。


「えー、それでは早速。感謝状。貴クラブは多年にわたり、わが社株式会社霊界に……」


状況についてこれていないであろうメンバーを置いて、私がすべき仕事を済ませた。読み終わった感謝状を強引に日野に押し付ける。これで、もうすることはない。あるとしたら、約束が一つ残っているが、それは私的なことなのであまり関係はない。


「……全く意味が分からないわ」


ぽつりと岩下先輩が呟いた。彼女はどうやら風間を除きメンバーの中で真っ先に驚きから立ち上がったらしく、眉間に軽く皺を寄せてこちらを見ていた。何も知らない人間からすれば、十分に非日常的な出来事なはずなのに、この適応力の高さには感心した。


「深く考える必要はないよ。死んでからで結構。個人的に岩下先輩には是非とも入社してほしいねー。貴女は役に立つ」

「あら、持ち上げすぎじゃないかしら?」

「私、お世辞とか嫌いだから」


わざわざ他人を褒めてみたとしても、私に徳はない。だから、私が褒めるということはお世辞でも何でもなく、心の底からそう思っているのだ。言われた人は光栄に思っていいだろう。しかし、岩下先輩は気にした風も無く、近くにあったパイプ椅子に座った。それに少し不満を覚えつつも、私も岩下先輩に倣った。考えてみれば、皆部活動が終わって疲れているだろう。そう思って、皆の後ろに椅子を移動させる。無論、所謂ポルターガーストなどを引き起こす際に使う能力を使って、だ。


「ささ、遠慮せずにどーぞ」


にこやかにそう言えば、初めこそお互いの様子を探り合っていたが、風間がさっさと座ったので、それに合わせて全員が座った。そういえば、とあることを思い出した。それは、倉田さんにかけた術をまだ解いていないということだった。解いた瞬間に口喧しく何か言ってきそうだったが、元木さんとの約束があるので、渋々ながらも解いてあげることにした。


「倉田さん、喋れるー?」

「あっ! あんた何すんのよ、この私に!」

「……声帯取ってほしいの?」


想像通り、身の程知らずもいい発言をした倉田さんだったが、あっさりと私の脅しに屈してしまった。これでは虐め甲斐がないというものだ。内心落胆しつつも、面倒ごとを避けることが出来たと前向きに考えることにした。


「という訳で、社の用事は終わったんだけど、個人的な約束が残っているから、当分ここに居座らせてもらうから構ってねー。……不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


腿の上で両手を重ねて、頭を下げてみせる。どんな反応をしてくれるのかと期待して、周りを見てみると、一番嬉しくない人物が両腕を広げて私に満面の笑みを向けた。


「やっと僕のプロポーズを受けてくれるんだね!」

「それはない。輪廻転生したとしてもない。お前と付き合うぐらいだったら、細田とのほうがまだマシだ」

「えっ! それって、つまり……」

「黙れ豚。悪いが、私は面食いなんだ。それに、お前はお世辞にも性格がいいとは言えないけどね。むしろ、悪い。見た目も悪ければ、中身も最悪。救いようがないね。で、風間はそれ以下だ」


何を勘違いしたのか細田が会話に割って入ってきたので、一刀両断して言葉で叩きのめした。そのつもりだったのだが、どうやら細田には効果がなかったらしく、何故だか恍惚とした表情で私のほうを見てくる。むしろ、こちらが精神的ダメージを受けたような気がする。細田と風間、ダブルで精神攻撃をしてくるとは、彼らも中々に侮れない。


「えー、私だったら、風間先輩のほうがいいけどなぁ」

「福沢さん、風間だけは止めておいたほうがいい。こいつは、私よりも質が悪い」

「失礼しちゃうなぁ。僕からすれば、君のほうが得体が知れないけど?」

「ご冗談を。君の胡散臭さには敵わないよ」


お互い愛想笑いを浮かべているものの、確実に空気は悪くなってきている。それを察して、話題を転換させることにした。新堂先輩や岩下先輩、坂上君に心労はかけさせたくない。岩下先輩は気になんてしないだろうが、覚醒状態にない坂上君は目に見えて分かるほどおろおろとしている。


「そういえば坂上君! デートの約束してたよねー。ってことで、暇な日はいつかな? どっか面白い所に連れて行ってよ!」

「ちょっと待て。いつそんなこと約束したんだ」

「この間、日野に邪魔されたからねー。本当、あいつうざったいよね」

「俺からすれば、お前のほうがうざったいがな」

「あ、じゃあせっかくだからデートは、二人で日野を呪うのなんてどう? 私、自分に跳ね返ってこない呪術のかけ方知ってるよ」



日野とは目線を合わせず、坂上君のほうに体ごと向いて話をする。ちょくちょく五月蝿い声が聞こえてくるが、蝿か何かだろう。坂上君はというと、いまだおろおろと体を揺らして、私や私の後ろを交互に何度も見たりしていた。そこは気にせず、遊んでくれるのかどうか問い詰めれば、戸惑いながらではあるが首を縦に振ってくれた。


「じゃあ、今度こっちから連絡いれるね。という訳で、今日はこの辺で失礼するよ! じゃねー」


気がつけばもう大分時間が経っていたようで、そろそろ私の上司が退社する時間になってしまった。残す仕事が口頭で報告するだけだったので、さっさと終わらせようと思っていたのだ。そして、残った調査期間で遊び倒そうと考えていたのだ。早くしなければこの計画にずれが生じてしまう。だから、彼らに手を振ると私はその場から姿を消した。どうせすぐに会えるのだからと、大して別れを惜しむような気持ちにはなれなかった。