「ここが不入谷教会ですよね?」
「ああ。それにしても、今日は人が多いようだな」
志村さんの視線の先をたどってみれば、そこには二台の車が止まっていた。普段はこのように人が集まることはないのだろうか。
私は外から教会を眺めてみる。お母さんはここに来るように言ったが、一体何のために私にそんなことをさせたのかが分からない。
志村さんは私を置いて教会の中に入っていく。私も慌ててその後を追った。
教会の奥に人が集まっているようで、しかし志村さんの影になっていたのでよく見えず、私は狭い通路ながらも志村さんの横から顔を出した。
「さん!」
そこには宮田さん、須田君、竹内さんと依子さん、美耶子ちゃん、牧野さんと八尾さんがいた。依子さん以外は皆、驚きで目を丸くしていた。私もまさか皆が教会に集まっているとは知らずに驚きで硬直する。
そして、次の瞬間には更に体を固まらせることになった。
我を取り戻したのか、宮田さんが物凄いスピードで駆け寄ってきて、それから私の体を抱きしめたのだ。考え直してみれば、こうして何度も抱かれている気がするのだが、何度されても慣れることはない。
「生きていたんですか……」
私の肩に頭を持たれ掛けているせいで宮田さんの顔は見えないが、なんだかそれがありがたいような気がする。
一体何をしていいのか分からず、それに他の人達が何ともいえない微笑を湛えてこちらを見ていることが気恥ずかしくて、私は僅かな力で宮田さんの肩を押した。
宮田さんは意外にもあっさり離れてくれて、今はそれにとても安心する。しかし、表情は不機嫌なものであり、私の背中に冷たいものが駆け上がった。
何か言われるかされるかするかと思ったが、宮田さんは私の手をひくと牧野さんたちが待っている場所に連れて行ってくれた。
今だ皆のあの生暖かい微笑みに居心地の悪さを感じるが、それよりも私には伝えておいたほうがいいだろうことがあったので、それを先に伝えることにする。
「あの、この世界には美耶子ちゃんと八尾さんの戸籍があるので、多分普通の暮らしが出来ると思います」
「私の……?」
「うん。だから、中学校に通ったり出来る……のかな?」
「本当に私達がいた世界とは違うのね」
いないことになっていた美耶子ちゃんがこの世界では社会的に存在するのだ。美耶子ちゃんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
一方、八尾さんは少しだけ眉間に皺を寄せて、そう呟いた。彼女達がいた世界と違うというのがどういう意味か分からず戸惑ったが、そんな私に気づいた八尾さんが時間が戻ったこと、儀式が行われないこと、教会で奉っている神様が堕辰子ではなくハルアレという人物になっていること等を話してくれた。
私は特に最後に説明されたお父さんのことが気になった。
「ハルアレって、私の父のことなんですが」
「どういうこと?」
そして、今度は私が先ほどお母さんから聞いた話をそのまますることになった。あまりに突拍子のない話に皆驚いたようだが、それらの事実を納得してくれた。
あっさりと受け止めたことに私のほうが驚いたが、すぐにそれもそうだろうと思い直す。一番突拍子も無かったのはあの異界での出来事なのだから、これぐらいの事実では大して驚くこともないのだろう。
その後、私達は一旦別れることにした。皆、眠りから覚めるようにこの世界に戻ってこれたとは言え、実際は疲れが取れた訳ではなかったのだ。それでも私の安否を気遣って、こうやって教会に集まって話をしていたのだという。その事実を知って、胸がほんのり温かくなる。私が以前いた世界では、こんなことはなかったのだ。それが急にこんな風に幸せになれていいものなのだろうか不安になったが、私はここでの生活をを第二の人生として大事に歩んでいこうと心に決めた。
色々と積もる話もあるだろうからと、明日もう一度教会に集まると約束してから、私は志村さんと一緒に帰るために彼の姿を探す。
しかし、どうやらもう帰ってしまったようで、幾ら道を知っているとは言え少し心もとない気持ちになった。
一人で帰るしかないと肩を落としながら教会から立ち去ろうとした私の手を誰かが掴んだ。視線をそちらに向けてみれば、案の定宮田さんだった。
「送っていきますよ」
「いえ、結構ですよ。宮田さんも疲れているでしょう?」
私の心配を他所に、宮田さんは強引に私を車の助手席に納めると、自らも運転席に乗り込んだ。これもこれで彼らしいと私は宮田さんの言葉に甘えることにしたのだが、それも数分後には後悔することになった。
なんというか、空気が重い。話を振ってみても一単語返されるだけで、それでは会話のつなげようがなかった。
私は仕方なく窓の外を通り過ぎていく景色を眺めることにする。そして、気がついた。もしかしたら通っている道が違うだけなのかもしれないが、私が覚えている志村さんの家へと続く道を走ってはいなかった。
どうやら私の考えは正しかったようで、まもなくして車は人気の全くない森の一角に止まった。
「み、宮田さん……?」
色々と危機感を感じて、宮田さんと距離を取ろうにも車内では限界があった。シートベルトをはずして外に逃げ出そうにも、しっかりと鍵をロックされてしまっており、それは叶わなかった。
宮田さんは無表情のままシートベルトをはずし、それから両手を私の体の横につく。これでもう逃げ出すことが出来なくなってしまった。
私は宮田さんと視線を合わせるのが恥ずかしく、顔を窓のほうに向ける。どう考えてもこんな森の中に人が通ることなんてありえなさそうだった。
宮田さんは私のせめてもの抵抗すら、顔を強制的に彼のほうに向けさせることによってあっさりと破ってしまう。右頬に宮田さんの骨ばった手が添えられていて、それだけで体温が上昇してしまいそうだった。
これで顔まで見たものなら、高熱で倒れてしまうのではないかと思えるほど私の頭はくらくらとし、せめて顔を見なくてすむように固く目を瞑った。
「さん、目を開けてください」
「嫌です! 無理です!」
「俺のことが、嫌いなんですか……?」
「ちがっ……!」
頑なに拒否していると、宮田さんは聞いたこともないような弱弱しい声を出したので、私は慌てて目蓋を持ち上げてしまう。そして、確かに体温が急上昇したのを感じた。
宮田さんが、笑っていたのだ。確かに今までも笑った顔を何回か見たことがあるのだが、それの比ではない。決して須田君のように華やかで明るい向日葵のような笑顔ではないのだが、それでも私の胸をしめつけるような、そんな感じの優しい微笑みでこちらを見ていた。
思わずその表情に見惚れていると、宮田さんはなおも優しい笑みを浮かべたままでゆっくりと口を開いた。
「好きだ」
今なら高熱で死ねる気がする。そう思えるほどの衝撃が私を襲った。はたから見たら可哀想なほどにうろたえて挙動不審になり、意味をなさない言葉を口から零す。
決して、宮田さんからの告白が嫌な訳ではない。むしろ、嬉しかったほどだ。そうは思っても、この恥ずかしさには耐えられなかった。
宮田さんは変わらずあの笑顔のまま、私の頬を両手で包み込んだ。彼の行動の一つ一つが、私をうろたえさせるには十分な威力を発揮していた。
「はどうなんですか?」
「へ?」
「返事を聞いてません」
彼が私に何を言わせたいのかを悟り、これ以上上がりそうもなかった体温が更に上がっていく。
宮田さんはどうやら私が言うまで離すつもりはないらしく、私が抵抗してもそれを力で抑え込む。彼の笑顔に僅かな悪意が混じっているのに気づいて、私はとうとう観念した。
しかし、宮田さんの顔を見て言うようなことは絶対に出来ず、顔を俯かせるにもしっかりと固定されているのでそれも出来ない。だから、先ほどと同じように固く目を瞑って勢いよく言葉を投げ出した。こうなったら、思い切りで乗り越えるしかない。
「私もです!」
「もっと正確な言葉が聞きたいんですが?」
「……っ私も宮田さんのことが! 好き、です……」
せっかく精一杯頑張って言ってみても、宮田さんは意地悪く更に辛いことを強いてくる。早く解放されたい一心で言おうと思ったのだが、その勢いは途中で衰えて尻すぼみになっていく。それすら恥ずかしくて、いっそのことこのまま殺してほしいとすら思った。
羞恥心に苛まれていると、不意に唇に温かい感触を感じた。それに驚いて目を開けてみれば、目と鼻の先に宮田さんの楽しそうな笑顔があった。
「な、な、何を……!」
「いえ、いつまでも目を瞑っているものですから、キスをしてほしいのかと。それに二度目じゃありませんか」
「やっぱりあれは勘違いじゃなかったんだ……」
いんふぇるので最後に意識が消える直前に感じたあの感触は夢ではなかったのだ。その事実に頭が沸騰しそうになる。
そして、混乱している私の体が後ろに倒れこんだことにより、更に混乱に拍車をかけた。何が起こったのか理解できず、しかし私の頭の中の警鐘はけたたましく鳴り響いていた。
気がつくと、宮田さんが私の上に馬乗りになって、それはそれは悪鬼のように楽しそうな笑みを浮かべていた。
「え、ちょ、何をする気ですか……?」
「恋人同士がすることといったら決まっているでしょう?」
「いやいや、だからってこんなところで」
私の反論を宮田さんは物理的に阻止してくる。再び唇を合わせると、あろうことか舌を私の口内に侵入させてきたのだ。抵抗しようにも、誤って宮田さんの舌を噛んでしまったら申し訳ないし、しかし今は私の貞操の危機だし、と頭の中で色々な言葉が飛び交っている。
そのせいで、いつのまにか宮田さんの手が服の中に忍び込んでいるのに気がつかなかった。その行動のせいで私は更に混乱し、行動しようにも体ががちがちに固まってしまって動けない。
もう駄目かと思ったその時、突然大きな物音と共に車が僅かに揺れた。そして、それはもう恐ろしい、閻魔様のような声が響いてきた。
――に手を出したら、呪い殺してやる……。
「お父さん?」
もしかして、今までこの光景を見ていたのだろうか。助けてくれたのは嬉しいが、出来ることならもう少し早く助けてほしかった。
私は宮田さんの体を押して、距離を遠ざける。宮田さんも素直に従ってくれた。それにまさかお父さんが何かをしたのかと焦ったが、それも宮田さんが運転席に大人しく戻ってくれたことによって解消される。
私は座席を起こし衣服の乱れを整えた。志村さんにバレたら、本当に死ねる。
「……興が冷めました」
「私としては嬉しい限りです」
「貴女のお義父さんについては、対策を練らないといけませんね……」
ぽつりと呟かれた言葉が気になったが、私は無事に何事もなく済んでくれたことに安堵し、息を吐く。
そして、ようやく私は志村さんの家に着くことが出来た。ここまで遅れた訳は、話が弾んでしまったとかそんな風に言おう。
「宮田さん、それでは」
わざわざ車から出て見送ってくれた宮田さんに別れの挨拶を告げてから、志村さんの家に入ろうとする。
しかし、それもすぐに彼に手を捕まれることによって、止まらざるを得なくなる。そして、そのまま抱きしめられる。出来ることなら行動ではなく言動で引き止めてほしいのだが、どうやら宮田さんにその気はないらしい。
突然の宮田さんの行動には相変わらず慣れないが、それでもそっと彼の背中に手を回した。そうするだけで、宮田さんに対する愛おしさが溢れるような気がする。
こうやって彼が私を知る以前から好きだった相手と両想いになれるなんてなんだか不思議だったが、今はそんなことは関係なくこの幸せに浸っていたいと思った。そして、出来ることならこの先もずっと宮田さんとこうしていたいとも思う。
「好きですよ、宮田さん」
私の口から零れた言葉は、私と宮田さんの体に浸透していく。以前はこの能力で人を傷つけてしまった。しかし、これからは皆と幸せに暮らしていきたい。そう思って、同時にそれを誓った。誰にでもなく、私自身に。