ボールの跳ねる音や、靴が床と擦れる摩擦音などが響き渡っている。白い球体が目の前を横切ったりもするが、焦点はある一人の人物に向けられていた。四六時中、心の中心に居座り、その所作の一つ一つで一喜一憂させるその存在は、しかしいつだって視線は別の方向を向いていた。
いつだって、彼女の中心にいるであろうそいつは、今現在俺の隣に能天気な微笑を浮かべて立っていた。何て典型的な三角形なのだろうと、思わずため息を吐いた。


「どうかしましたか?」

「面倒だなーって思ってただけ。というか、幸村は遊ばないのか?」


ただ今、体育の授業の真っ最中である。しかし、体育の先生は出張だか何だかで不在のため、こうして自習ということになっていた。体育では自習の仕様がないだろうと内心突っ込みつつも、突然の休講はやはり嬉しいものである。どうせなら教室に帰して欲しいのだが、あくまでも自習。体育館内で戯れていなければならないらしかった。真面目な、というか単に体を動かすのが好きな奴らが多いためか、クラスメイトの大半は劣化版のバレーだのバスケットだのをしていた。一方、俺や三成や半兵衛などといった比較的面倒くさがりやな奴らは壁の花となっていたのだ。三成や半兵衛なら正しく花ではあるが、俺は違うなぁなどと自虐的な考え事をしているところに幸村がやって来たのはつい先ほどであった。幸村は比較的運動好きで真面目キャラなので、俺のようにサボりそうもないので不思議に思ったが、話し相手が増えるのは嬉しいことなので特に何も言わなかった。三成だけが相手では良い様にからかわれるだけである。それに、幸村は一番の親友である。少なくとも俺はそう思っているので、こうして来てくれたのは嬉しい。しかし、視線をあちらこちらに彷徨わせている幸村は、やはり退屈なのではとも心配になった。


「あ、いえ、私は結構です」

「そうか? まぁ、俺も幸村がいたほうが楽しいしなー」


どうやら俺の考えは杞憂であったようだ。現に幸村は笑顔を浮かべてくれた。しかし、それはすぐに引っ込められ、眉尻を下げて心底心配しているような顔になる。


「何か悩み事でも……?」

「へ? 何で唐突にそんなことを?」

「いえ、最近ため息ばかり吐いているように感じたもので」

「あー、気にすんな。大したことじゃないから」


まさかくのいちが好きで、でその彼女が幸村のことが好きなんだ、なんてこと言える訳もないだろう。
俺の意中の人物であるくのいちは、明るい笑顔の似合う何処か小悪魔的な雰囲気の女子である。かれこれ一年間ほど片思いを続けている。一方、くのいちは幸村と所謂幼馴染という関係らしく、多分何年も片思いを続けているのだろう。くのいちから直接幸村が好きだ、なんて聞いたことはないが、彼女の行動を見ればそれは誰の目から見ても一目瞭然であった。しかし、ただ一人気付かない人物がいた。それは彼女の思い人の幸村である。こいつの鈍感具合には、本当に辟易させられる。それはくのいちはもちろんのこと、俺のこともある意味苦しめていると言えるのかも知れない。今の段階で振り向いてくれる可能性は限りなく零に近いが、もしもくのいちが振られたのならばまだ入り込む隙があるのかもしれなかった。それは卑怯のような気もするが、しかし気がつけば簡単に諦めきれないほどに想いが膨らんでいたのだった。これで、幸村もくのいちが好きだと分かったら、それはそれで潔く身を引いて、友人として二人を祝福出来るというものだ。しかし、一向に二人の関係に進展はなし。俺も何とももどかしい感情と付き合ってきたのだ。
そんなことを考えている内に表情を曇らせでもしてしまったのか、幸村は珍しく眉間に皺を寄せて少しだけ顔を近づける。


「微力ながら助太刀致しますよ……?」

「ん、その気持ちだけで有難いよ」


流石に幸村に相談出来る内容ではないのでやんわりと断る。幸村は見るからにしょんぼりとしたように肩を落としてしまった。罪悪感が湧いてきて慌ててフォローでも入れようとしたのだが、その前に横から突然声がかかった。


「別に話してもいいではないか」


三成は前を見据えたままそう言った。その視線の先を追ってみれば、慶二や政宗や兼続らが全力でボールをぶつけ合っていた。ドッチボールと呼ぶには、随分と危険な競技に見える。あそこに混ざらなくて良かったと胸を撫で下ろしつつ、確か先ほどまであの中に幸村がいたよな、と思い出した。親友の身体能力の高さを改めて認識しつつ、件の彼のほうを見てみれば、子犬のように目をきらきらとさせた幸村がそこにはいた。


「三成殿の言うとおりですっ!」


先ほどよりも身を乗り出して、俺のほうに近づく幸村に思わず一歩後ろに下がってしまった。そうしたことによって、どれだけ距離が近かったのか幸村も気付いたらしく、頬を僅かに染めて元の姿勢に戻った。それでも、目の煌きだけは消えていないのを見て、これは引きそうにないと確信する。なので、腹を括って一部分を打ち明けることを決意した。


「俺、好きな奴いるんだよね」


そう言うと、幸村は目を大きく見開いてそのまま固まってしまった。想像以上の驚きっぷりに、こちらが驚かされつつも、話を続けることにする。


「で、どーやらそいつにも好きな人がいるらしくて。それが俺だったら嬉しかったんだけど、生憎そんなこともなくってさー」

「そ、そうなのですか……」

「そーなの。で、こっからが問題なんだけどさ。そいつの好きな奴って幸村みたいなんだよな」


そう言った後の幸村の反応は、先ほどのそれよりも大げさなものだった。今度は口をぽかんと間抜けに開けて、食い入るように俺のことを見つめている。かと思えば、今度は挙動不審に視線をそわそわと彷徨わせて、落ち着きを全く無くしてしまった。


「ちょ、何で幸村がそんなに驚くんだよ」

「いえ、あの、えっと……すみません?」

「謝られる理由が分からないし、そもそも何で疑問系なんだ?」


そう問えば、幸村はまた眉尻を下げて肩を落とした。俺と視線を合わせようとはせず、搾り出すように言葉を発した。


「その、殿の想い人が、私なんかを……」

「何だ、そんなことかよ。だったら、気にすんなって! お前は別に悪くないだろ? というか、誰も悪くない」


苦笑しながらそう言えば、幸村もおずおずとだが笑ってくれた。そんな俺達を黙って静観していた三成が、再び唐突に口を開いた。


「正しく、三角関係という訳だな」

「だなー。これで、幸村が俺のことが好きだったら、綺麗な三角関係になるんだけどな」


ふざけてそう口に出したのが、運の尽きだったらしい。
てっきり幸村が笑いながら否定してくれるものだと思っていたのだが、幸村は予想外の表情をしていた。まるで林檎か何かのように頬を真っ赤に染めて、俯いてしまったのだ。まさかの、だ。冗談のつもりでそう言ったのだから、幸村も冗談のように返して欲しかったのだが、何なのだろうこの反応は。
いや、まさか。でも、そんな。ある想像が浮かび上がってくるが、それを打ち消し、しかしすぐにその考えが戻ってきて。そんなことを繰り返し考えることしか出来ない。
でも、まだ幸村がここで否定してくれれば、その想像は拭い去れる。お願いだから笑い飛ばしてくれと念じつつ、幸村のことを注視する。すると、幸村は今にも泣きそうな顔をした。


「あ、えっと……具合が悪くなったので、早退します!」


そうして、踵を返すと恐るべき早さで体育館から出て行く。それを呆気に見送ることしか出来なかった。



歪んだ三角形の始まり


「綺麗な三角形だな」
「他人事だと思って……。歪みすぎて泣けてくるよ」
「何なら、俺の胸でも貸すか?」
「え、ちょっと待てよ。まさか」
「冗談だ」
「性質が悪いぜ、三成さんよ……」






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