「やぁ似非紳士!」


図書室で暇つぶしに良さそうな本を探していると、不意に後ろから声がかかった。
聞きなれたその声に、自然と頬が緩むのを感じながらそちらを見てみれば、いつも通り輝かんばかりに明るい笑顔を浮かべたさんがそこにいた。彼女が先ほどした挨拶の言葉もいつも通りで、だから私もいつも通りの返事を返す。


「ですから、その呼び方は止めて頂きたいのですが」


実際はもう慣れたもので、むしろこの会話が無ければ物足りなくすら感じる。さんは微笑みながら、こちらへと近づく。それだけで、胸が高鳴るのだから重症なのだろう。恋の病とはよく言ったものだ。気がついたら視線が彼女を追っていて、こうして話しかけられるだけで心がほんわりと温かくなる。
私の気持ちなんて露も知らないであろうさんは、口元をゆるめながら口を開く。


「ね、願掛けってなーに?」


さんが投げかける話題は大抵脈絡もなく唐突なものである。今回も例に漏れず、どうしてそんなことが知りたいのかと、逆にこちらが聞いてみたくなるような質問をしてきた。かといって、不真面目に答えるような真似は出来ず、どんなものであったかと記憶を探る。そうして、見つかった答えを口に出した。


「願掛けとは、自分自身に試練をかけて神や仏に願い事を行うことですよ」


そう言えば、さんは眉間に皺を寄せて難しい顔をする。しかし、それも束の間で、すぐにまたあの輝かしい笑顔を浮かべた。


「つまり、ハイリスクハイリターンを期待する、ってこと?」

「……これはまた、随分と前衛的な解釈ですね」


そうして、飛び出てきた答えは予想だにしてないものだった。さんの解釈では、随分とギャンブル的なものになってしまう。かといって、当たらずしも遠からずなので、そういう言い方になってしまった。しかし、さんはそんなことを気にせず、再び難しい顔をしだす。そして、真面目な表情でぽつりと呟いた。


「ハイリスクって、例えば幸村の教科書の名前欄に魔王様って書くとか?」

「もっと、ささやかなものでいいと思いますよ……」


発想があまりにも突飛すぎてついていくことが出来ない。まさかの彼女の発言に驚きやら尊敬の念やらを抱きながら、一応は止めることにする。放っておけば、さんならやりかねない。さんは少し唇を尖らせ、それからすぐに別の案を出してきた。


「じゃあ、真田の教科書の名前欄にお米って書く!」

「というよりも、それはリスクというより、ただの悪戯ですよ」

「じゃあ、赤也のところにワカメって書く?」

「……どうして、そういうのに拘るのですか?」


ここまで来ると、本当に呆れるしかない。どうやらさんも悪戯心半分で言っていたらしく、肩を竦めて笑って見せた。それでも、すぐに顔を引き締めると、首を傾げて本格的に悩みだす。どうやら真面目に考えているらしく、ならばと協力することにした。


「今度のテストで80点以上を取る、などでもいいんじゃないでしょうか?」

「私が勉強嫌いだって知ってるくせにー」

「その程度出来なくては、願いなんて叶わないと思いますが?」


眉間に皺を寄せて唇を尖らせて不満を顕わにしたさんに、少し挑戦的に言葉を投げかける。さんは少しの間だけ険しい表情のままだったが、それもすぐに和らげられた。それから、気を取りなおしたように再びにっこりと微笑むと、今度は彼女のほうが挑戦的に私のことを見てきた。彼女に他意はなくとも、胸が騒ぐのは致し方ないだろう。


「じゃあ、責任とって勉強教えて!」


私に何の責任があるのかは分からないが、しかしさんのお願いは私にとっても願ったり叶ったりのものであった。だから、緩む頬を自覚しつつも引き締めることが出来ない。


「……仕方のない人ですね」


元より拒否する気など更々ないが、さんがそれを知る由も無く。私が一つ頷いてみると、途端に顔を綻ばせた。そんな表情に釣られて、私も口角を持ち上げる。それから、さんは踵を返すと私に背を向けて歩き出した。


「それじゃあ、また連絡するよ」

「分かりました」


己の言葉に何処と無く寂しさが紛れているような気がした。事実、これでもう別れるのかと思うと、物悲しい気持ちになる。だから、少しの間だけでも引き止めたくて、気がついたら言葉を投げかけていた。


「そういえば」

「ん?」


さんは律儀に足を止めて、こちらを振り返る。軽く首を傾げて、一直線にこちらを見つめる彼女の瞳にどぎまぎしながら、何とか言葉を搾り出した。


「……そういえば、一体どんな願掛けを?」


不自然ではない質問が口をついて出た。これならば、さんに怪しまれることもないだろう。しかし、さんは短くない時間、口を閉ざす。もしかしたら、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうかと不安になった頃、さんはようやく口を開いた。


「どこぞの似非紳士が振り向いてくれるようにってね!」


さんはそれだけを言うと、素早く背を向けて小走りで駆け出す。驚きのあまり呼吸をすることすら忘れていた私の脳裏には、薄っすらと頬を赤く染めてはにかむ表情だけが焼きついていた。



ささやかな願掛け





お題はこちらからお借りしています。