人の声はおろか風が木立を揺らす音すらしない、暗闇に閉ざされた世界があった。
その世界でただ一人だけ生ける者が存在した。その者は脱力しきったように、朽ちて壊れかけた長いすに腰掛けている。顔が伏せられているので顔は見えないが、体格的に見てその者は少年であった。傍らに日本刀と土偶のようなものを置き、背には二丁の猟銃を背負っている。どう贔屓目に見ても、普通の人間には見えぬ出で立ちであった。
「わぉ! 君がかの有名な異界ジェノサイダーSDKこと須田恭也君かい?」
須田と呼ばれた少年の隣に、この暗い世界の空気には似合わぬ場違いな明るい声と共に一人の少女が現れた。本当に、忽然とどこからともなく現れたのだ。
突然現れた見知らぬ少女に驚き、そして警戒したのか須田は日本刀を素早く手に取るとその場から飛び退き、少女と距離を取った。少女は突然の須田の行動を予期していなかったのか、きょとんと年相応に呆けた顔をした。そして、けらけらと楽しげに笑い出す。それらの行動は、あまりにも普遍的で、この異常な世界においてはそれが返って彼女の不気味さを際立たせた。
「そんなに怖がらないでよ。あたしは須田君をどうこうしようって訳じゃないんだしさ」
「何で俺の名前を知っているんだ?」
「別の世界で君は有名なんだよ。で、私もそこで知ったというわけ。でも、驚いたなー。まさか本当に存在しているとは」
「……異世界?」
「そそ。須田君だって色んな世界に行けるでしょ? あたしも似たようなもんだよ」
「じゃあ、君も屍人達を?」
「須田君が異界ジェノサイダーなら、さながらあたしは異界トラベラー。色んな世界を彷徨うだけ。……そういえば、自己紹介がまだだったね。あたしは一応って呼ばれてる」
は明るい笑顔を一瞬だけ曇らせた。それは僅かな違いで、須田がそのことに気がつかなかったのも仕方が無い。須田は先ほどよりも幾分か緊張を解いて、それから不思議そうな顔をしに質問をした。まだという少女の安全性を示されたわけでもなく、また彼女の雰囲気の変化に気がつかずに無遠慮に問いを投げかけたのは、それも単に幼さのせいなのかもしれない。不老不死となった須田の年齢を外見から判断するのは難しいが、それだけ子供であるということでもあった。
「一応?」
「名前、忘れちゃってさ。でも、周りの人がそう呼ぶから多分っていうのがあたしの名前なんだろうなー、って」
「名前を忘れるかなぁ」
「須田君もそのうちそうなるかもね。……でも、君には美耶子ちゃんがいるのか」
見えない何かを見るように目を細めて須田の隣をは見つめた。そこには確かに何も無い。それを須田も分かっているはずなのに、須田はの視線の先を負った。その眉間には少しだけ皺が寄っていた。
「美耶子のことも知っているのか」
「言ってしまえば、君が羽生蛇村の怪異に巻き込まれてから堕辰子を倒すまでの大まかな部分を知っているよ」
須田は眉間の皺を深くした。それはに対する負の感情からではなく、純粋に疑問に思っているからであった。が顔に浮かべている笑みを急に大人びたものへと返る。達観したようなそれは彼女が相当な経験をしてきたことを伺わせた。
「そういえば須田君がいた世界で、また異変が起きてたよ。暇があったら調べてみたらどうかな?」
「何でそんなこと知ってるんだ?」
「さぁてね。あたしは長い時間旅してきたからね。物知りなんだよ」
は立ち上がると、より一層暗闇が深いところへ歩き出した。それを須田は呆気にとられて見送る。彼女が一体誰なのか、そして何のために自分に会いに来たのか。謎と静寂だけが残され、また須田一人しか存在しない世界へとなった。