(1話目)
仕方が無かった。
事態は急を要していて、彼らを救うにはそれしか方法が思いつかず、私に選択の余地はなかった。
贄となった少女は、はたしてどのような気持ちだったのだろうか。
力なき私を呪ったのだろうか、怨んだのだろうか。……わからない。
ただ、彼女にせめてもの懺悔として、私は誓ったのだ。
「絶対に、君を幸せにする」
呟いた言霊は、すぐに霧散して消えてしまう。
こんな不確定で曖昧な言霊に、大して力は宿らないのだろう。
しかし、それでも私は呟かずにはいられなかった。
「私に出来うる限りのことをして、君を幸せにする」
この言葉も、たちまちなくなってしまう。
それはわかっていたこと。それでも、何度も何度も繰り返すのは、効果を期待しているのではなくて、あえていうなら自分への約束。
私というここで崇め奉られる存在ではなく、自分という一人の存在への約束、誓い。
例え何があろうとも、この身が朽ち果て力を失くそうとも、彼女だけは絶対に守ると己に誓った。
(2話目)
「お初にお目にかかります、ハルアレ様。私は三遊と申します」
深く頭を下げ、そうご挨拶する。
ハルアレ様の下に嫁入りするにあたって、粗相がないようにと父上が用意してくださった花嫁衣裳は、穢れの無い純粋な白で覆われ、また触り心地も格段にいい。そして、白無垢からは母上が時間をかけて選んでくださった香の香りがする。それはとても甘くいい匂いであり、ふとした拍子に家族や友人のことを思い出し、思わず泣きそうになるものでもあった。
「顔をあげなさい」
ひたらすに頭を下げるのは、ハルアレ様に対する礼儀の意味であり、また零れ落ちそうな涙を隠すためでもある。
そんな私に、彼は優しく声をかけてくださった。
慈悲深き声色。全てを見透かした上で、全てを包み込んでくれるような優しい声だった。
その声に誘われるように、ゆっくりと顔をあげる。
すると、予想外にもハルアレ様のお顔は手を伸ばせばすぐ届くであろう、近い距離にあった。
彼は申し訳なさそうに眉尻を下げて、微笑んでいらっしゃった。
「申し訳ございません」
思わず、その顔に見とれていると、急にハルアレ様は私に頭を下げた。
この距離にも驚いたが、彼の突然の行動にも驚いた。そして、彼の謝罪の言葉にも。
訳が分からず、みっともなくもおろおろと動揺を露にしていると、彼は困ったように笑いながら顔を上げる。
私はハルアレ様に侘びをさせているような光景ではなくなったことに安堵しつつも、先ほどの行動と言動の意図がわからず、彼と同じように笑ってみせる。
「見ず知らずの地に、ご家族やご友人と別れ、たった一人で来させるなんて……。これも全て、私が不甲斐ないからなのです。貴女には非情に申し訳ないことをしたと思っています」
「わ、私は大丈夫ですよ! 寂しくなんてありません。私はハルアレ様と共に生きると決めたのです。ですから、そんな顔をしないでください……」
まさか、彼が私のことをこんな風に心配してくださっていたとは思わなかった。
彼が私を嫁として迎え入れたのは、仕方が無いこと。そうしないと、村の人々を救えないからだ。
そんな政略結婚にも等しいことを、彼が喜んで受け入れるはずがない。
正直、私だって嫌だったのだ。しかし、私が嫁がなければ、村は崩壊してしまうかもしれない。だからこそ、私は友を、家族を思って、嫁いだのだ。
当然、ハルアレ様だってこんなことは嫌だと思っているものだと考えていた。仕方が無く結婚した相手と、仲良くできるはずなんてない。
しかし、彼は私に対して謝罪をした。
女に頭を下げるなんて真似をやってのけたのだ。それは一重に、それだけ私に対して本当に申し訳ないと思っているという証拠。
――そういう風に思っているのだったら、最初から私を嫁に選んで欲しくなかった。
本音が、深く深く封印した心の奥底から漏れだす。
それと、同時に私の目蓋では押さえきれない量の雫が零れ落ちる。
ハルアレ様はそれを見ると、私の顔を両手で包み込み、そっと親指で涙をぬぐった。
手の温もりが、気持ちいい。
しかし、それでも涙は止まることを知らなかった。
「安心してください。私は何があろうとも、貴女を守って見せます。貴女を幸せにします」
止め処なく流れ出る涙をぬぐいながら、私の瞳をじっと見つめながら、ハルアレ様は一言一言をかみ締めるように呟く。
私の中の、彼に対する憎しみが少し薄らいだような気がした。
(3話目)
「ず、随分と小さいのだな……」
三遊の腕に抱かれた小さな赤子を見つめながら、ついついそんなことを呟いてしまった。
それをしっかりと聞いていた三遊は私の言葉にくすくすと笑みを零す。それがなんだか馬鹿にされているように感じて、私は視線を赤子から逸らして庭のほうに目を向けた。些細な反抗の意だった。
そんな私を見て、三遊は更に笑い声を大きくした。といっても、眠っている赤子を起こさぬよう気をつかっている。
「当然ではございませんか。ハルアレ様は意外と世間知らずですわね」
「じ、実際に見るのは初めてなのだから致し方なかろう!」
「こら、起きてしまうじゃないですか」
三遊の言葉に反論すべく彼女達を振り向いて、そう言ったら思わず声が大きくなってしまった。三遊は眉間に軽く皺を寄せると、私の額を指先で軽く押す。
確かに彼女の言うとおりなので、私は何も言わずに黙り込むしかなかった。三遊はまた微笑を浮かべると、ある提案をしてきた。
「ハルアレ様も抱いてみますか?」
「へ? し、しかし、落としてでもしまったら……」
「座って抱けば、大丈夫ですよ。それに、それぐらいの高さだったら死んだりしませんから」
そういう問題ではないのだが、私は結局三遊に押されて赤子を抱いてみることになった。
三遊は見た目とは裏腹に強情なところがある。この赤子だって乳母に任せず、自分で世話をすると言い切ったのだ。来たときとは大違いだったが、彼女が本当の自分を曝け出してくれているのだと思えば、胸がくすぐったくなった。
「こ、これでいいのだろうか……?」
胡坐を掻き、その上に赤子を乗せる。小さく頼りないので、何かの拍子に潰してしまうのではないかと冷や汗ものだ。
かちこちに固まる私を愉快そうに眺めながら、三遊は笑った。本当に笑顔が似合う女子だ。
不意に三遊が私の空いている右手をとる。突然の動作に私はドギマギしてしまって、赤子のことを含めていよいよ身動きが取れなくなってしまった。
三遊が私の人差し指を赤子の小さな手に握らせる。何だそんなことかと、落胆してしまった自分を私は向こうへ追いやろうとする。
しかし、それも赤子がその手で私の指を握ってくれたことによって、あっさりと出来てしまう。私は繋がれた指と手を見つめた。わずかな力で握られた指が温かく、この赤子に対する愛情というものが一層溢れ出てきた。
「可愛いでしょう?」
「……ああ」
愛おしい者を見る目つきで三遊は赤子の頭を撫でていた。それは紛れもなく母親の表情で、それが少しだけ寂しく感じられた。
目を細めて二人を見つめていると、不意に三遊が顔をあげた。その顔にはまるで少女のような笑みが浮かんでいる。
「名前はなんとつけましょうか?」
「そうだな……やはり、画数などにはこだわったほうがいいのだろうか?」
「いずれは何処かに嫁ぐのですから、あまり関係ないと思いますよ」
「いいや、この子は絶対に嫁になんかやらん!」
「だから、起きちゃいますって」
そんな風にじゃれあいながら、私達はこの赤子の将来について話し合った。
どうかこの子の歩む道が幸せなものであるよう、私が祈ってしまうのは変な話なのかもしれない。
(4話目)
ハルアレガ治ムル土地ニ異分子ガ侵入シテキタリ。
平穏ナル暮ラシハスナハチ変ハリニキ。
堕辰子ハ村人ニ呪イヲカケルニテ深キ関ワリヲ持チ、堕辰子ヲ神ト崇ムル邪教ガ出来上ガリキ。
ハルアレニ信仰心ガスダカズナリ、力ヲ失ヒ衰退シヌ。
ソシテ、別ノ世界ニ隠レザルヲ得ナクナリニキ。
コレヨリ戦イガ起コルヤモシレネバ、ハルアレノ最モセチナル稚児ハ別ノ世界ニ送リ出サレキ。
ソノ子ハソノ世界ニテナノメナル人間トシテ生活ヲヤルコトニナリキ。